バーンスタイン指揮バイエルン放送響 モーツァルト アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618(1990.4Live)

数多の音楽家が弟子として教えを乞うたナディア・ブーランジェ。
1979年、ほとんど昏睡といえる状態が続く中、老齢のナディアには彼女を慕って多くの人たちが訪れた。人の最期とは実に尊いものだと思う。

ついにベッドから離れることができなくなった。面会謝絶が続く。肉体的な苦痛、呼吸困難、さらに発熱の発作によってうわごとを言うようになった。
8月の終わり、生徒たちは出発する前の晩、彼女のいる部屋を訪れ、モーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』とバッハのコラールを一曲歌った。ドアが開かれたままのベッドにいる彼女は、死にかけており、衰弱しきり、ほとんど意識がなかった。一番身近にいた一人は、「ほとんど耐え難い気持ち」でその姿を目のあたりにしている。
こうして学校は空き家になり、広々とした廊下には物音一つせず、石造りの階段は人気がなくなった。しかし、苦難の中にある彼女は、アネット・デュドネをはじめとする忠実な弟子に囲まれ、もう1ヶ月、命を長らえた。
9月16日、93歳になった日であったが、レナード・バーンスタインが、通りがかりのパリから駆けつけた。面会が許されるかどうかも定かでない状況だった。しかし、瞬間的に目覚めた彼女は、彼を認識し、彼の言葉を聞き、彼に一言二言語りかけ、彼にしがみついたのだ。
彼は最期に会えた人間の一人だった。もう食べ物を口に運ぶことも出来ず、希望のない日々が一日一日と過ぎ、さらに見込みがなくなった。それでも、彼女は打ちのめされてはいないように見えた。

ジェローム・スピケ著/大西穣訳「ナディア・ブーランジェ」(彩流社)P210-211

それにしても鳴り響いたのがモーツァルトであり、またバッハであるという奇蹟。
そして、最期に会えた一人にレナード・バーンスタインがあったのだとはさすがである。

バリュー通りの、美術館のような重たい雰囲気のアパルトマンに、10月22日の月曜日まで、精神の抜けた肉体がもがき苦しんでいた。その日の早朝、75年前に、リリと母親と初めて一緒に眠ったその部屋で、彼女はこの世を去った。
~同上書P211

大往生とはいえ「もがき苦しんだ」という言葉が痛い。
輪廻の海の中に放り込まれ、再び苦悩の中に生れ出づるまでどこを旅し、どこを周回するのか。果たしてナディアはすでに生まれ変わっているのかどうなのか。

死の半年前、最晩年のバーンスタインによる渾身の聖なる「アヴェ・ヴェルム・コルプス」。
音楽は粘り、うねる。ただし、その音は極めて澄んで温かい。

・モーツァルト:アヴェ・ヴェルム・コルプスK.618
バイエルン放送合唱団
レナード・バーンスタイン指揮バイエルン放送交響楽団(1990.4Live)

久しぶりに耳にしたバーンスタインの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は滅法美しかった。
透明なモーツァルト!
迫真のバーンスタイン!

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