
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトへの一方ならぬ愛情。
ベンジャミン・ブリテンにとって神童の作品は、他の何にも代え難い音楽だったようだ。
BBCに残されたいくつかの記録を聴いて、彼自身の証言はもとより、演奏そのものが心からの賞賛の発露であり、これほど熱い演奏はないように思った。浪漫の色合いを濃く秘めながら、実に透明な音を響かせる独自のモーツァルト。アメリンクとのものもリヒテルとのモノの、すべてが稀代の名演奏。
モーツァルトに関していうなら、私の解釈の基盤は、彼の音楽に捧げる熱き共感にあるのだと思います。もはや比喩の次元を超えて、すべてが燃えたぎる血潮なんですよ。
~「グラモフォン・ジャパン」2001年1月号(新潮社)
その昔、「グラモフォン・ジャパン」が発刊されたとき毎月楽しみに購読していた。しかし、雑誌はあっという間に廃刊になった。とても残念だったが、買い手がいなければどうにもならないのが世の常。しかし、先のブリテンの言葉同様、ここから学び知ることはとても多かった。
リヒテルを独奏に据えたK.595は颯爽たるテンポの名演奏。白眉は第2楽章ラルゲット。
これほどまでに哀しみを喚起する演奏が他にあろうかと思うほど。モーツァルト最後の年の1月5日完成したといわれる最後のピアノ協奏曲は純白の至宝だが、この緩徐楽章の表現だからこそ明朗で弾けるような終楽章アレグロが生きるのだとわかる。

ブックレットにはちょうどこの時のコンサートのリハーサル風景の写真が掲載されているが、ピアノに集中するリヒテルと、その様子に感化され、必死に棒を振るブリテンの姿が映し出されている。音楽を聴くより明らかにこの写真が演奏のすごさを物語っているようだ。