モントゥー指揮サンフランシスコ響 フランク 交響曲ニ短調(1950.2.27録音)

サンフランシスコ響時代のピエール・モントゥーの録音はいずれも壮絶な凄演だ。
セザール・フランクの交響曲に至っては少々やり過ぎの感も否めなくないが、何だかこう鬱積したものを溜めに溜め、解放される瞬間のカタルシスとでもいうのか、冒頭から異様なパッション宿る音楽に僕は打ちのめされる。まるで生き物のようだ。

セザール・フランクは慈しみ溢れるキリスト者だった。
外面にはこだわらず、内面の充実を、すなわち心を重視した。

フランク先生の考えでは芸術作品のいわゆる形式という表れは、その芸術作品の本質の有形的部分にほかならない。それは思想が外に纏っているもので、思想の眼に見える着物の役をすべきものである。思想を先生は「音楽の魂」と呼ばれた。先生の作品は自然に生じた全芸術の伝統という大きな地盤の上に固く根ざしながら、しかも思想の性質に応じて形式が色々に変化している。そしてこのことは、私たちが後に実際に見ようとするところである。
ヴァンサン・ダンディ/佐藤浩訳「セザール・フランク」(アルファベータブックス)P59-60

弟子であったヴァンサン・ダンディの回想は確かなものだ。
「音楽の魂」を重視するといっても彼が形式を疎かにしたわけではない。緊密な構成と統一感は一世一代の傑作をより逸品に仕上げたし、何よりモントゥーの張り裂けんばかりの心の叫びを伴なう演奏が、この交響曲を一層名曲に押し上げるのだ。

・フランク:交響曲ニ短調(1887-88)
ピエール・モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団(1950.2.27録音)

第1楽章レント—アレグロ・ノン・トロッポは天下一品。速めのテンポで颯爽と歌われる第2楽章アレグレットでさえ切れ味抜群。とにかく音楽の流れが良い。終楽章アレグロ・ノン・トロッポには解放の愉悦が表れ、暗澹たる世界から抜け出した陽気が見事に抉られる。

1890年11月8日、セザール・フランクは亡くなる。

エマニュエル・シャブリエは、フランク先生の死後わずか数年しか生きなかった人であるが、この人が国民音楽協会を代表して墓前で述べた弔辞は、聴く人々の心を打った。その弔辞の最後の言葉は次のようであったが、それはいかにも至言であった。
「先生、さようなら。どうもありがとうございました。先生はよくなさってくださいました。先生は今世紀における最大の芸術家の一人、また比類のない教師でおいでになりました。先生の優れたお教えの賜物として、信念を持ち、分別のあるしっかりした音楽家たちの一全世代が生まれました。先生のお陰でこの人々は激しい長い戦闘に対して隙なく武装しております。先生はまた真直な正しい方で、この上なく人情に厚く、公平で、その忠告は誤りなく、そのお言葉は親切でおありになりました。ごきげんよう・・・」

~同上書P43-44

葬儀の場ゆえの多少の修飾はあれど、シャブリエの言葉はフランクの人となりを表す言葉だろうと思う。
実に人間臭い交響曲の名演奏にひれ伏したくなるくらい。

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