マッケラス指揮ウィーン・フィルのヤナーチェク「イェヌーファ」(1982.4録音)を聴いて思ふ

ここしばらくヤナーチェクの「イェヌーファ」漬け。
耳だけで興じるオペラの醍醐味。音に集中できる分、新しい発見があって実に面白い。
何よりレオシュ・ヤナーチェクの新機軸。

ヤナーチェクは人の心を的確に旋律に乗せて表す手だてとして、日常会話の声の上がり下がりが描く旋律曲線に興味を持ち、その研究に取り組んだ。彼自身の回想録によれば、その研究をすでに25歳頃から始めていたということで、30代になると、モラヴィア民謡の収集にも手を着けた。なにごとにも熱中しやすい彼は、いつも手帳を持ち歩いて、市場で買い物をしている女性たちの声の上がり下がりなどまでも楽譜としてメモした。手帳がなくなると、新聞紙の切れ端やワイシャツの袖口にまでメモしたというのは、ヤナーチェクの習癖の一つとしてよく知られている。そしてこの「イェヌーファ」をたぶん第1幕まで書き上げていた1897年頃には、会話の旋律の系統立った研究がいちおうまとまり、作曲にその成果が反映されるようになっていた。
(佐川吉男「歌劇『イェヌーファ』の成立と概要」)
日本ヤナーチェク友の会編「歌劇イェヌーファ対訳と解説」(改訂新版)P18

この耳障りの良い、発話旋律という手法が用いられた斬新な音楽は、ヤナーチェクの耳の良さもさることながら、女性の日常会話を徹底研究した成果だということに得心した。音楽に限らず、対話においていかに音の高低の変化やぶれをキャッチできるかが関係を良好に保つための重要なポイントであるからだ。

オペラにおいて、歌手の歌はもちろん、管弦楽を含めた音楽がどれほどの重要な役割を果たすのか、ヤナーチェクは他のどの作曲家以上にそのことを熟知していたのだろう。いや、少なくともワーグナーはそのことは最初からわかっていたのだろうと思う。

オペラにおいて注目すべきは、主に次の二点です。第一に、偉大な作曲家の高貴な音楽は演技の才能に乏しい歌手にさえ、台詞芝居の最上の役者も身につけることのかなわぬ理念の魔力を授けることができました。その一方で第二に、真の劇的才能に恵まれた歌手はまったく価値のない音楽にさえ気品を与えることができたため、同じ才能が語りだけの芝居においてはなしえなかったほどの舞台の出来ばえに、私たちは心奪われたのです。このような現象はどう考えても、音楽の力によるものとしか説明できません。
(山崎太郎訳「オペラの使命について」1871)
ワーグナー/三光長治監訳/池上純一・松原良輔・山崎太郎訳「ベートーヴェン」(法政大学出版局)P352-353

気を吐くリヒャルト・ワーグナーの思想の根底。
レオシュ・ヤナーチェクの音楽には土俗的、民謡的音調を併せ持つ高貴さがある。

・ヤナーチェク:歌劇「イェヌーファ」(1894-1903)(1982.4録音)
エリーザベト・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ、イェヌーファ)
マリー・ムラゾーヴァ(アルト、ブリヤ家のおばあさん)
ヤーナ・ヨナショヴァー(ソプラノ、ヤノ)
ペーター・ドヴォルスキー(テノール、シュテヴァ・ブリヤ)
ヴァーツラフ・ジーテク(テノール、水車小屋の親方)
エヴァ・ランドヴァー(メゾ・ソプラノ、コステルニチカ)
ヴィエスワフ・オフマン(テノール、ラツァ・クレメニュ)
インドラ・ポコルナ(ソプラノ、バレナ)
ルチア・ポップ(ソプラノ、カロルカ)
ダイボール・イェドリツカ(バス、村長)
イヴァーナ・ミクソヴァ(メゾ・ソプラノ、村長の奥さん)
ヴェラ・ソウクポヴァー(メゾ・ソプラノ、羊飼い女)
・ヤナーチェク:序曲「嫉妬」(1894)(1979.11録音)
ウィーン国立歌劇場合唱団
サー・チャールズ・マッケラス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

人間の愚かさと、そこから生じる問題を解決することでの精神的成長を描く人間ドラマとでもいうのか。短い序曲から、活気のある、美しい音楽が鳴り渡る。マッケラスの生み出す音楽は、柔軟で、また機知に富み、本来なら晦渋にもなり兼ねないヤナーチェクの音楽が、どの瞬間も豊かな音に溢れるので、心から楽しめるのが良い。

第3幕、イェヌーファとラツァの結婚式のシーンから急転直下、殺された赤ん坊が見つかったという壮絶な場面(第6場から第7場)の音楽の、人間心理とその情景を見事に音で描く巧みさ。そして、第10場、コステルニチカの「私がイェヌーファの子どもを殺しました」という告白から第11場「村長さん、来てください!私を連れて行ってください!」までの驚嘆の盛り上がり。そこから、続く第12場冒頭イェヌーファの「みんな行ってしまった。あなたも行ったら!」という言葉にこもる悲哀。すべてが音楽的センスに満ち、また色香豊かで素晴らしい。何より「音楽の力」!

「イェヌーファ」のスコアには、黒いリボンを結びたい。娘オルガと幼いウラジミールの、長い病苦と死の吐息の思い出に。
(レオシュ・ヤナーチェク)
~同上書P115

幼くして(また若くして)二人の子を失くしたヤナーチェクの、「イェヌーファ」作曲から20年後に書かれた自伝の中でのこのオペラにまつわる回想は、とても悲しいものだ。

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