雪、愛、マーラー

マーラーの音楽には「聖なるもの」と「俗なるもの」が同居する。静謐な安寧の旋律が流れるかと思いきや突然音楽は豹変し爆発する。それは人間の持つ「翳」の部分と「光」の部分の錯綜であり、陰陽をもって全体を為す「宇宙」の法則の体言であるように僕には感じられる。「彼岸」ではなくまさに人間的な「此岸」の音楽をグスタフ・マーラーは創出した。

久しぶりの雪模様の中、新宿区内の集会室にて「愛」についてのセミナーの2回目を開催する。昨日とは全く違う反応であり、全く異なるエネルギーを感じさせてくれる。人と人が交わることで、人のもつ「天使」の性質と「悪魔」の性質が市松模様の如く入り乱れる。あえて「正誤」の判断はしない。なぜならそれをもって人間であり、宇宙であるから。「愛」とは与えることであり、もらうことではない。あるがままの全てを、あるがままの本質を素のまま受け入れることができるかどうかが問題なのである。

とはいえ、人の持つエネルギーが交叉することで信じられないほどの「気」が充溢することは間違いない。僕は20年来そういう現場をこの目で見てきた。仮想空間とはいえ体感的に知ってきた。人が人を求め、人に必要とされることで生き長らえているということは間違いないと確信する。

マーラー:交響曲第9番ニ長調
クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

アバドがベルリン・フィルと成し遂げた奇跡のライブ録音。先日のバーンスタイン盤とは正反対の名演といってよい。バーンスタイン盤がデモーニッシュな側面を前面に押し出しているのに対し、このアバド盤はアポロン的な明るい側面を前面に押し出す。僕は第9交響曲の終楽章を聴くと、いつも人間の臨終時における刹那の感情、あの世とこの世を彷徨う「臨死体験」的なシーンを想像してしまう。苦しみから解放された安寧の静けさが訪れたとき、すべてが「平和」なエネルギーに満たされ、解放されるのだ。
最後の音が鳴らされた後の数十秒に及ぶ沈黙。その後の堰を切ったように溢れる割れんばかりの拍手と歓声は極めて感動的。素晴らしい!

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