
どんな天才であろうと、後にも先にもなく突然変異的に生れ出た人はいないと僕は思う。
ベートーヴェンは作曲上の手段を存分に駆使して作った最初の作品である作品18の6曲の四重奏曲の決定稿について、これでわたしは初めて四重奏曲を書くすべを物にすることができたと語っている。この作品18には本来どんな手本も存在しなかったのであるから、この言葉には特別の注意が払われて然るべきである。ベートーヴェンの手法はハイドンに献呈されたモーツァルトの偉大な四重奏曲群とさえもほとんど無関係である。
~テオドール・ルートヴィヒ・アドルノ=ヴィーゼングルント/高辻知義・渡辺健訳「音楽社会学序説」(平凡社)P183-184
アドルノはそう書くが、実際にはベートーヴェンは作品18の創作に当り、モーツァルトのK.464を研究し、参考にしたのではなかったか。小さな種を受け取り、そこに革新的方法を導き出したことこそがベートーヴェンの天才の成せる業である。一切の他者からの影響なく、生み出されたものではやっぱりないだろう。アドルノは続ける。
これらの《ハイドン四重奏曲》は、モーツァルトがほとんどすべてのジャンルに幾曲かずつ残した傑作群に属するもので、それらは山のような頼まれ仕事に対して、そしてそのためにこの天才に強いられた技術と想像力の束縛に対して抗議するかのように、およそ真なる作曲の模範であることを主張している。
~同上書P184
モーツァルトの天賦の才が犇めき、煌めく「ハイドン・セット」の奇蹟。
モーツァルトのハイドンへの賞賛はその献辞以上に音楽そのものによって示される。革新的な傑作群が何と美しく奏でられることか!
浪漫薫る、同時に深遠なる第16番変ホ長調K.428(421b)の静かな美しさ。
第2楽章アンダンテ・コン・モートの抑制された音楽に僕は思わず嘆息する。
興味深いのは前半の哲学的内容に対し、後半の外面的効果を狙った、モーツァルトのいわば多角的創造術!!
第3楽章メヌエットの庶民的躍動、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの明朗な、貴族的音楽にハイドンの面影を追う。
たった今、お前の弟から10行ばかりの手紙を受け取った。その中に、最初の予約音楽会が2月11日に始まって、毎週金曜日につづけられること、四旬節第3週目の何曜かにはきっと劇場でハインリヒのための音楽会があって、私にすぐにも来いということ、この前の土曜日に6つの四重奏曲をアルターリアに売って、100ドゥカーテンを手に入れ、その曲を愛する友ハイドンやその他の親しい友人たちに聴かせたこと、が書いてある。最後に、書き始めた協奏曲に、また取りかかります。さようなら! とある。
(1785年1月22日付、父レオポルトから娘ナンネルへ
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P110-111
ちなみに最後に言及される協奏曲は傑作ニ短調K.466であり、この時期のモーツァルトの革新的充実ぶりを物語っていて面白い。