ベートーヴェンが先立ってさらに取り組んだのはモーツァルト作品を研究することであった。1785年9月に「わが親愛なる友へ」と始まるハイドンへの献呈の辞を伴なってアルタリア社から作品10として出版され、そのような経緯もあって有名となっていた、いわゆる「ハイドン四重奏曲集」(作曲は1783~85年)のなかから、第1番ト長調(KV387)全曲、および第5番イ長調(KV464)第3楽章をスコア譜に書き写したのである。
~大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P440-441
ベートーヴェンも若き日から相当の努力をした。その上で、満を持して生み出された作品18の6曲は、ロプコヴィッツ侯爵からの委嘱だったようだ。
その経験によってベートーヴェンが得たものは大きかったというべきである。それは、作曲技術の観点においてはもとより、貴族の市民先導的な音楽愛好趣味に彩られた範囲を完全に超越したという手応えであったのではないだろうか。作曲の依頼は貴族から来たとはいえ、それに、味わい楽しむといったレヴェルを超えた圧倒的な6曲のセットで応えたところに、ベートーヴェンの意気が強く感じられる。
~同上書P441
音楽家の生活が貴族に雇われて成り立っていた時代から、(特に経済的に)自立するきっかけ、先鞭をつけたのがやはりベートーヴェンだった。そしてその気概を見事に音化したのが作品18であり、そのことは、前半3曲に早々と改訂を施したことからもうかがえる。老ハイドンの名作も革新的な傑作であるとはいえ、それまでとは一線を画した、いかにも市民階級の台頭の狼煙を上げたであろうベートーヴェンの最初の弦楽四重奏曲群の奇蹟(大袈裟だけれど)。
90年前の古い録音だけれど、心に沁みる。
温故知新。時間と空間を超え、今に残るものは何にせよ強い。もちろん演奏スタイルの古さは否めない。しかし、そのことを抜きにしても、このベートーヴェンにはそれゆえの真実がある。作品18-1堂々たる第1楽章アレグロ・コン・ブリオの意味深さ。そして、第2楽章アダージョ・アフェットゥオーソ・エト・アパッシオナートの深沈たる静けさはもはや委嘱者の精神を超えるベートーヴェンの真骨頂!
この16の絃楽四重奏曲を備える人は、原則としてカペエを採り、カペエの無いものはブッシュを、ブッシュの無いものはレナーと採れば大した間違いは無い。
作品18の6つの四重奏曲のうち、第1番はブッシュを、第5番はカペエを私はすすめる。作品59番の「ラズモフスキー四重奏曲の1番」はカペエの名演奏がある(コロムビア)。2番はレナーがあり、3番はブッシュがある(ビクター)。
~あらえびす「クラシック名盤楽聖物語」(河出書房新社)P103
あらえびすの古の評がまた懐かしい。