ハイティンク指揮ロンドン・フィル ショスタコーヴィチ 交響曲第4番ハ短調作品43(1979.1録音)

美も醜も善も悪もスタヴローギンにとって規準にならない—こういうふうにドストエフスキイは彼の作品の主人公を設定しましたが、さて、私達が20世紀の周辺を眺めてみると、私達の内心でもすでに美醜善悪の基準が大きく崩れていることに驚かされます。20世紀は『悪霊』のなかの「組織の力学」が示す政治に憑かれた時代でありますけれど、と同時にあらゆる基準が崩壊して、私達の周辺に多くのスタヴローギンが現われても少しも不思議でない時代になりました。けれども、私達が置かれているこの場所がただに単色に塗りつぶされた世界でないことを、深い複雑さで示しているのがドストエフスキイの巨大作でして、『悪霊』にはこの現代的な典型スタヴローギンのほかに、他の現代的典型キリーロフが現われてまいります。このキリーロフは、スチュパン氏が親しい、ユーモラスな、性格的な明るさを作品に与えるとすれば、閃くような、飛躍的な、形而上的な明るさをこの作品に与えるものといえます。
埴谷雄高「ドストエフスキイ その生涯と作品」(NHKブックス)P148

埴谷雄高の分析は、ことにショスタコーヴィチのこの交響曲にもそのまま当てはまりそうだ。スタヴローギンとキリーロフの性格をそのまま受け継ぐ交響曲。

美醜善悪の基準が大きく崩れるということは、その中に美醜善悪がそのまま混淆し存在することだと言い換えても良いだろう。

前衛的ショスタコーヴィチ。
プラウダ批判により棚上げされた交響曲は、強烈な個性と暴力的な音響で、ときに耳を劈く強音に支配されるも、終楽章コーダの夢見るような、可憐な、チェレスタを伴なった、ミクロコスモスの化身のような音楽に心打たれる。
誰のどんな演奏を聴いても、この作品の素晴らしさに一たび惚れ込んだ者はとことん打ちのめされる。(前にも書いたように記憶するが)エフゲニー・ムラヴィンスキーに録音が残されていないのは痛恨事だ。

ほど良くソフィスティケートされた交響曲第4番ハ短調作品43。
当時、ショスタコーヴィチはマーラーの交響曲をスコア片手に念入りに研究していたそうだ。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43(1936)
ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1979.1.17&18録音)

3つの楽章が連続で演奏される巨大なシンフォニーをハイティンクは見事な全体観でもって再現する。実に見通しの良い名演奏だと思う。

ラトル指揮バーミンガム市響 ショスタコーヴィチ 交響曲第4番(1994.7録音)ほか 滑川真希 デニス・ラッセル・デイヴィス ショスタコーヴィチ 交響曲第4番(2台ピアノ編曲版)(2018録音) ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管 ショスタコーヴィチ第4番(2013.6Live)を聴いて思ふ カエターニ指揮ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ響 ショスタコーヴィチ第4番(2004.3Live)ほかを聴いて思ふ マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送響 ショスタコーヴィチ第4番(2004.2録音)を聴いて思ふ バルシャイ指揮ケルン放送響のショスタコーヴィチ交響曲第4番(1996録音)ほかを聴いて思ふ バルシャイ指揮ケルン放送響のショスタコーヴィチ交響曲第4番(1996録音)ほかを聴いて思ふ

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