ヤノヴィッツ ヴンダーリヒ プライ ボルイ ウィーン楽友協会合唱団 カラヤン指揮ウィーン・フィル ハイドン オラトリオ「天地創造」(1965.8.29Live)

祈りの絶対力。

ハイドンは後日、こう述懐している。「《天地創造》を作曲した時ほど敬虔な気持ちにあふれていたことはない。私は日々しざまずき、この作品に力が与えられるよう神に祈った」。友人にはこう述べている。「《天地創造》に携わっていた時、あまりにも神への確信で満たされるのを覚え、ピアノに向かう前、神をその値に相応しく賛め称えられるだけの才能をお与え下さいと、静かに、確信を抱いて神に祈った」。
パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P43

何事においても偏らないことが大切だ。
世界の諸相は目に見える世界と目に見えない世界との交錯。泥沼たる俗世間にあっていかに悟りを得るか。聖を否定せず、俗も否定せず、聖と俗とを併せ飲むことが重要だろう。

ハイドンはこのオラトリオにおいて、嵐から雪、激流から小川、空の鳥から海の鯨、獅子から地を這う虫にいたるまで、主が創造したさまざまな自然現象や生き物を、オーケストラを利用して巧みに描写している。こうしたいわゆる「音楽的絵画」の数々は、高尚なキリスト教的ドラマであるべきオラトリオにはふさわしくない低俗な手法として、当時の批評家からたびたび批判の目がむけられた。しかし、聖俗のあらゆる作曲スタイルが混在している楽曲そのものが、神によって創造された世界の多様性を暗示している面があるのも確かである。
池上健一郎著「作曲家◎人と作品 ハイドン」(音楽之友社)P223-224

この革新的手法こそハイドンがエステルハージ家に仕え、鍛錬してきたスキルの賜物だろう。しかも、音楽的には不協和音を用いて宇宙の始まりを模し、そこから開闢の物語を、様々な音楽的描写を駆使して表現せんとした姿勢は、文字通り陰陽を超えた、聖俗統一の顕現であった。批評家がいかに否定しようとも、世間は熱狂した。その事実こそ18世紀末における奇蹟であり、このオラトリオこそ人々が希求した真の音楽だったのだろうと思う。

1791年、ロンドンのウェストミンスター寺院で聴いたヘンデルのオラトリオ「メサイア」の衝撃。いずれ自分もこういう音楽を書いてみたいとハイドンは心に誓ったそうだ。機会は数年後に訪れる。
私的な初演は1798年4月30日、公には1799年3月19日にブルク劇場で行われ、大成功を収めた。公開初演直後の新聞紙上の評は客観的な事実のみを書き留めているようだ。

想像しがたいかもしれないが、オラトリオ全体がどれほどの静寂と集中力をもって傾聴されたことか。そして際立った箇所ではわずかな吐息がその静寂をそっと破り、各曲と各部の終わりでは熱狂的な拍手喝采を浴びたのであった。
(「一般音楽新聞」1799年4月10日号)
~同上書P146

・ハイドン:オラトリオ「天地創造」XXI:2(1796-98)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ、大天使ガブリエル/エヴァ)
フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール、大天使ウリエル)
ヘルマン・プライ(バリトン、アダム)
キム・ボルイ(バス、大天使ラファエル)
ウィーン楽友協会合唱団(ラインホルト・シュミット合唱指揮)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1965.8.29Live)

ザルツブルク祝祭大劇場でのライヴ録音。
何より最強の描写力。ライヴならではの疵は当然あるが、それが一層有機的な色合いを醸し、実に生命力溢れるカラヤン全盛期のウィーン・フィルとの演奏に、手放しの賞賛を送りたい。
ともかく独唱陣の豪華さと、期待に違わず好演を魅せるヤノヴィッツ、ヴンダーリヒ、そしてプライの力量に感動する。

いわば「寅の会」を描く第3部の、プライの歌うアダムの第29番レチタティーヴォの温かさ。

我らは創造主に感謝を捧げ、いまや最初の務めは果たされた。
さあ、ついておいで、我が生涯の人よ!
私はお前を導き、一足ごとに新たな喜びを我らの胸に呼び起こし、
あらゆるところで神の素晴らしき業を示そう。
そして悟りなさい、
主が我らにどれほどの言い尽くせない幸福を与えてくれたかを。

続く第30番アダムと(ヤノヴィッツ歌う)エヴァの愛を交わすデュエットと合唱の神々しさ。しかし、ここに原罪という業が早速認められる哀しさよ。そして、第31番ウリエルによるレチタティーヴォでは、ヴンダーリヒの清廉な歌唱が、アダムとエヴァに邪心を起こさないよう忠告する。

幸せな夫婦よ、いつまでも幸せであろう、
邪な妄想に誘惑され、物欲に侵され、
より多くのことを知ろうとしないのであれば!

知識こそが足枷になることの予言ともいえる大天使ウリエルの智慧こそ本性が有する最高の発露であろうと思う。ハイドンの聖俗統一された音楽の美しさに感無量。何よりカラヤンの人間臭い表現に囚われという人間の弱さを思う。

過去記事(2016年12月15日)

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