「自然」に学ぶ

stenhammar_jarvi.jpgこのブログでも「謙虚」という言葉をよく使っている(ちなみに、今日現在「謙虚」でブログ内を検索すると16日分ヒットした)。特に、昨年9月に「人間力向上セミナー」を始めてからその単語を頻繁に使うようになったみたいだ。自分自身に対してもそうだが、人間というもの「謙虚さ」を忘れると問題が突如噴出する。
自分に拘るのではなく、あくまでも謙虚に他を受容することが重要だ。自然はどういうわけかそういうことがよくわかっており、先ごろのミャンマーと中国・四川省の自然災害も軍事政権や共産党首脳などそれぞれの国のトップに対して「警告を送る」かのような現象のように僕には思える。ここに来て、中国は外国の支援を受け入れることを決定した。過去においては他国の援助をことごとく拒否してきた中国だが、今回ばかりは状況の悲惨さからそうは言っていられない様子で日本が初の支援国となった(ミャンマー軍事政権は相変わらず支援要請をしないようだ・・・)。

1890年(明治23年)1月に刊行された西郷隆盛の「南洲翁遺訓」(西郷は国家や為政者のあるべき姿を示し、社会で活躍する心構えを説いている)第二十六条に次のような言葉がある。
「己れを愛するは善からぬことの第一なり。修行のできぬも、事の成らぬも、過ちを改むることのできぬも、功にほこり驕慢の生ずるも、皆自ら愛するがためなれば、決して己を愛せぬものなり」
なるほど、意味深い。

ステンハンマル:セレナーデヘ長調作品31
ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団

1911年~13年にかけ作曲されたこの楽曲は、まさに「音楽による自然との戯れ」。一聴、ロマンティックな趣を秘めた佳作だが、北の大地に住む作曲家らしくエネルギーが内に向きすぎる傾向も感じられる。この楽曲自体イタリア訪問にインスピレーションを得て作曲されたというが、そうは言っても「人間の本質的な性質」が反映されるので、僕にはどうしても内向的に感じられるのである。第4楽章「ノットゥルノ(夜想曲)」などは哀しくも美しい音楽で、ショパンのノクターンを思わせるが、一転フィナーレではリヒャルト・シュトラウスを髣髴とさせるメロディがここかしこに響き合う。北欧といえば、シベリウスであり、グリーグであり、3歩譲ってニールセンの音楽だと思っていたが、このステンハンマルが意外に素晴らしい(意外!とはファンの方にしてみれば失礼な言い方かもしれないが)。

ジャン・シベリウスは名作交響曲第6番をこのステンハンマルに献呈している。

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