いわば血の気の多いシューベルト。
31歳で夭折した天才が晩年に生み出した大ハ長調は、本人的にはまさかまもなく命が尽きようとは想像もしていなかったはず。それならば、希望に溢れ、ある種我欲にまみれた(?)演奏解釈があっても良かろう。とはいえこれは、まるで指揮者本人の生き様の投影のようにも思える。
もっと中庸の、情に流されない、即物的な解釈を期待する僕がいた。
しかしながら、トスカニーニにしてこれほど熱い、濃淡のある音楽を演奏せしめたのは何ゆえか。1825年のシューベルトには希望があった。当然だ。いまだ28歳の青年の未来は明るかったのだから。老練の指揮者が精魂込めて歌ったシューベルトの力強さ、堅牢さ。フルトヴェングラーのそれとも、ワルターのそれとも明らかに異なる内なる炎の爆発よ。
さまよい疲れし者の
いやはての憩いの床はいずこならん?
南の国の椰子の樹蔭か?
はたラインの岸の菩提樹のもとか?
「いずこに?」
~片山敏彦訳「ハイネ詩集」(新潮文庫)P189
永遠に繰り返されるような錯覚に陥る音楽が、これほどまでにテキパキと集中力をもって奏され、あっという間の時間と思わせるように聴かせるのは神業だろうか。思わず唸る。
シューベルト:
・交響曲第8番ロ短調D759「未完成」(1950.3.12&6.2録音)
・交響曲第9番ハ長調D944「ザ・グレート」(1953.2.9録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
このときトスカニーニはすでに85歳!
抜群の推進力とオーケストラの統率力に舌を巻く。
指揮者は音楽に没頭し、楽しんでいることがわかる。
熱い、とにかく熱い。
それにしても、ひとり楽員や歌手といわずニューヨークの人びとがトスカニーニを尊敬していることは大変なものだ(イタリアに行ったらイタリアの人びともみんな彼を自慢していた。あれはおれたちの国の生んだ大音楽家だ、と)。それだけにまた切符を手に入れるのもとてもむずかしい。
「アメリカの音楽」
~「吉田秀和全集8 音楽と旅」P87(白水社)
1953年末から3ヶ月近く合衆国に滞在した吉田さんの、当時の「アメリカ音楽事情」のレポートが面白い。トスカニーニは大変な人気者(?)だったことがわかる。