パーヴォ・ヤルヴィ指揮NDRエルプ・フィル ブルックナー 交響曲第2番1872/77年第2稿/新全集新版II/2 2007年出版/ノーヴァク~キャラガン校訂)(2019.5.17Live)

「きびきび」という表現が正しいのかどうかわからないが、「立て板に水」の如くのパーヴォ・ヤルヴィのブルックナー。これはこれで実に面白いと僕は思った。

喝采のなかに敵意ある声が混ざっていた。その人たちはブルックナー個有の音楽を非難しなければならないと思ったのである。当時宮廷楽長であったヨハン・ヘルベック(ヴィーンで最も行動力のある有力な人物のひとりであり、かつブルックナーのコットも重要な後援者のひとりであった)もそう思ったひとりで、同じ意味の非難をしたかもしれない。そして彼はブルックナーにこの交響曲を修正するよう勧めた。これによってブルックナーの生涯のほとんど終わりまで続くことになるあの干渉が始まったのである。ヘルベックがブルックナーのために世に認められるよう道を拓いてやったことは確かであり、彼の後にはレーヴェとシャルク兄弟が演奏によって同じことを実現した。ブルックナーは、私たちが知っているように、ヘルベックの忠告を非常に抵抗しつつも受け入れた。
(レーオポルト・ノーヴァク/大崎滋生訳)
ミニチュアスコア ブルックナー 交響曲第2番ハ短調(ノヴァーク版1877年稿)(音楽之友社)序文

渾身の交響曲第2番は、初期の名作であり、ブルックナーらしさの萌芽が随所に見られる。
いかにも熟練の、同時に若々しさを表出するパーヴォの棒が光る。

堂々たる第1楽章モデラートに優美な第2楽章アンダンテは、もはや壮年になっていたブルックナーの青春の音楽のようにも聴こえる。すでにこの時点で完成形を示すブルックナーの自己との闘いはここから始まったのだろうと想像する。常に革新的な創造を、本人は意識することなくブレイクスルーすることで成し遂げていったブルックナーの本懐。
パーヴォの思念が掛け算のように刷り込まれることで、何と美しい表現が生み出されたことだろう。

私がブルックナー演奏でやろうと努めたことは、ベートーヴェンやシューマン、そしてブラームスに対して行ったのと同じこと、つまり、伝統を無視しないということです。私は指揮者の家に育ちましたから、伝統が何であるか知っています。けれども、伝統と、伝統のもとに有機的に成長した音楽との間にある論理は、こちらから見出すべきものです。植物と同じで、音楽は成長してゆく。近道はない。適切なペースというものがある。クライマックスにも必然性というものがある。
(パーヴォ・ヤルヴィ)

あくまで正統派を主張するパーヴォ・ヤルヴィのブルックナーは自然体だ。


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む