ヴィントガッセン ニルソン アダム ナイトリンガー ベーム指揮バイロイト祝祭管 ワーグナー 楽劇「ジークフリート」(1966.7.26Live)

あらためて「コジマの日記」。
この詳細な日常の記録は、リヒャルト・ワーグナーを愛する者にとって必携の書だ。作曲家の思考の断片はもちろんのこと、他愛もない冗談から哲学的談義まで、その生活がリアルに語られる。そこには極めてプライベートな記述もあり、興味深い(そもそも公にされることを目的にしたものでないゆえ、コジマにしてみれば腹の内を探られるようで本意ではないだろうが)。

楽劇「ジークフリート」にまつわるエピソード。1872年1月のこと。

《第九交響曲》の手書きの楽譜が届く。はてしない喜び。ショットがとてもよい状態で保管しておいてくれた手稿は、優に40年以上も昔のもの。それが今、わたしの手もとにある。リヒャルトは冗談めかして「これできみは、わが人生のすべてを身辺に集めてくれたことになる。きみがいなければ、わたしは自分の人生について何も知らなかっただろう」と言った。
(1872年1月15日月曜日)
三光長治・池上純一・池上弘子訳「コジマの日記3」(東海大学出版会)P92

ベートーヴェンの手稿譜を手に入れたことへの賞賛。その日の夜は、どうやらショーペンハウアーを読み、コジマは「ジークフリート」第3幕のなぞり書きをしていたらしい。翌日も翌々日もコジマはなぞり書きを続け、それは2月26日にようやく終える。

1872年6月7日金曜日の日記。

おしゃべりはとどまるところを知らず、彼はこうも話した。「そうだ、人は年をとってようやく自分の人生がわかるようになる。考えてみれば、《トリスタン》を書くようにと、わたしを激しく駆り立てたものは何であったろう。あれはちょうど、きみとハンスが初めてチューリヒを訪れた頃だった。それまで、わたしはきわめて順調に《ジークフリート》の最初の2幕を完成させていた。今なら、ミュンヘンでの《トリスタン》上演へとつながっていった因果の連鎖をすっかり見てとれる。この例ひとつとってもわかるように、何事にも超自然の力がはたらいているわけで、意識の内に入り込んでくるものなど迷妄にすぎない。全体を見渡せる者の目には、各々の瞬間に見えていたものとはまったく違う様相が浮き彫りになる。ロミオの心中に途方もない情熱が芽生えたとき、彼の意識はそれをロザリンデへの思いととらえていた。意識とは何か? それは、眠れぬことの多い夜に続いて訪れる朝であり、昼の幻影なのだ。そして、わたしには本心からそう思えるのだが、運命は人間のために配慮してくれると考えて安心してもよいのではないだろうか。自分の人生を眺め渡してみれば、ミンナとの結婚も絶望的な面ばかりではなかったと思うし、奇蹟だって起きた。もちろん奇蹟といっても、受胎告知などとは違う、もっと苦しい道筋をたどってのことではあったが。わたしのために尽くそうと望み、実際にはまた尽くしてくれた女とこうして出会い、心から親密な関係を結んだことがどれほど救いになったか、自分でもよくわかっている。なにしろわたしはずっと逃走寸前の状態にあったのだから」。
~同上書P247-248

出逢う人・事・物すべてが按配の中にあることは、後々になってわかるものだが、何事にも超自然の力が働いていることを見抜いているワーグナーの眼力に感心する。
果たして、何年もの時を経て作曲が再開された、「ジークフリート」第3幕の素晴らしさ。

・ワーグナー:楽劇「ジークフリート」
ヴォルフガング・ヴィントガッセン(ジークフリート、テノール)
エルヴィン・ヴォールファールト(ミーメ、テノール)
テオ・アダム(さすらい人、バリトン)
グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ、バリトン)
ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ、ソプラノ)
クルト・ベーメ(ファフナー、バス)
ヴィエラ・ソウクポヴァー(エルダ、アルト)
エリカ・ケート(森の小鳥の声、ソプラノ)
カール・ベーム指揮バイロイト祝祭管弦楽団(1966.7.26Live)

録音で聴くと少々軽率な(?)印象の音響に始まるが、それは時間の経過とともに重みを増して行く。第3幕とそれ以前の幕の作曲に10数年のブランクのある点が「ジークフリート」に違和感を残すところだが、しかし逆にそれこそが楽しみどころだ。

第3幕第3場岩山の頂上でのジークフリートとブリュンヒルデの邂逅。

ジークフリート
男じゃない!
燃えるような魔力が僕の心の中で疼き、
火のような不安が僕の目を捉える。
地面が揺れ、目眩がする!
(彼は極度の胸苦しさに陥る)
誰に助けを求められよう?
母さん!母さん!僕のことを忘れないで!
(彼は失神したようにブリュンヒルデの胸に倒れる。長い沈黙。それから溜息をつきながら起き上がる)
どうしたらあの娘を目覚めさせ、
彼女の目を開けさせられるのか?
彼女は僕の目を開いてくれるだろうか?

井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集2―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P161

ジークフリートの接吻により目を覚ましたブリュンヒルデはジークフリートとの対話の中でますます覚醒して行く。

ブリュンヒルデ
私の苦しみの闇に、太陽の光がさすわ!
おおジークフリート!ジークフリート!
私の不安を見て!
(彼女の表情から、彼女の心に心地よい光景が浮かんだことがわかる。その光景から目を転じ、優しい心持ちで再びジークフリートを見る)
私は不死身でした!これからも不死身でしょう、
不死身のままあなたを憧れ、甘い歓びに浸り、
不死身のままあなたの幸福を願っています!
おおジークフリート!素晴らしい人よ!世界の宝よ!
大地の生命よ!晴れやかな英雄よ!

~同上書P165

音楽に刷り込まれたカール・ベームの思念が聴く者の心を抉る。
「ジークフリート」終幕終場の集中力に舌を巻く。
ブリュンヒルデを演ずるニルソンの輝ける悦び、そして、ジークフリートに扮したヴィントガッセンの勇敢なる、そして大いなる慈悲。

過去記事(2013年7月16日)


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