フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのモーツァルト&チャイコフスキーを聴いて思ふ

mozart_39_tchaikovsky_6_furtwangler335ひとつひとつの音を確かめるように粘り、丁寧に間をとることで、どちらかというと明朗な音楽が沈潜してゆく様。まるで変ホ長調交響曲の裏側の世界を見せつけられるよう。この序奏部こそがこの演奏の肝だ。それは、決して見ることのできない月の裏側のように、僕たちの不安や狂気に訴えかける。
しかし、主部に入ってからの(それでも一般的な演奏に比較すると重いが)ホルンの合いの手を含む主題提示の高揚感と弦の崇高な調べにフルトヴェングラーの天才を思う。何という空間的拡がり!!そして、時間的凝縮!!

変ホ長調交響曲K.543作曲当時のモーツァルトの財政状況は切迫したものだった。当時の友人ヨハン・ミヒャエル・プフベルクへの数多の無心の手紙を見るにつけいたたまれなくなる。

あなたの真の友情と同志愛のおかげで、私がこんなに厚かましくもあなたの偉大なご好意におすがりします。あなたにはまだ8ドゥカーテンの借金があります。今のところ、それをお返しする当てもないのに、あなたを信頼するあまり、ほんの来週まで(そのときはカジノで私のコンサートが始まりますので)100フローリンのお助けをお願いいたします。それまでには必ず新聞広告による予約金が入ること間違いなく、心からの感謝をこめて136フローリンお返しすることはたやすいと思います。
(1788年6月初めプフベルク宛手紙)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P386

何の根拠もない演奏会の予約金を返済金に当てようとするこの無計画さと無防備さ、すなわち純粋さこそが神の子モーツァルトの天才の証し。内なる悲痛な叫び、そして苦悩。もはや背負い込んだものが音楽に投影されないはずがないだろうと言わんばかりのフルトヴェングラーのモーツァルトの暗澹たる外面(しかし、であるがゆえの気高い真実性と深み)!!

不思議なことにこの音楽のエネルギーが、10年近く後のカイロでのチャイコフスキーの「悲愴」交響曲と同期する。

・モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調K.543(1942 or 43Live)
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」(1951.4.19&22Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

フルトヴェングラーの一期一会的パフォーマンスは真に素晴らしい。
灼熱の砂漠と壮大なピラミッドを持つ彼の地での、漆黒酷寒の大地より生み出された憂鬱な音楽芸術は、一層暗く重く僕たちの心に圧し掛かる。第1楽章主部におけるフルトヴェングラーならではのテンポの揺れと異様な音の強弱、そして第2主題での強烈なポルタメントに、死を目前にした作曲者の狂った無念を思う。生まれ出でた芸術は崇高なれど、その内側にこもる念はモーツァルトの場合と同様苦悶する。また、展開部以降の劇的かつ動的な表現はフルトヴェングラーならでは。真にこの楽章は素晴らしい音楽だ。
第2楽章アレグロ・コン・グラツィアを経て、強烈な第3楽章アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェの躍動。
とはいえ、一層凄いのは終楽章アダージョ・ラメントーソ!!クライマックスに向けて音楽が徐々に収斂すると同時に弾け拡散する波動の見事なコントロール。ここでのティンパニの激烈な響きと弦楽器の「泣き」は聴く者の心をとらえて離さない。
あまりに有名になり過ぎたこの「嘆きの歌」は、賛否両論あれどやはり名作であると僕は思う。
何よりフルトヴェングラー向きの音楽。

 

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