フルトヴェングラー指揮北西ドイツ放送響 ブラームス 交響曲第1番ハ短調作品68ほか(1951.10.27Live)(SWF 8201-02)

コンサートから32年を経過してフランス協会からようやくリリースされたアナログ盤を、当時僕は大枚叩いて購入した。それは、1951年10月27日の、北西ドイツ放送交響楽団とのオール・ブラームス・プロの一部を収録した2枚組レコードだった。

フルトヴェングラー指揮北ドイツ放送響のブラームス1番ほか(1951.10.27Live)を聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮北ドイツ放送響のブラームス1番ほか(1951.10.27Live)を聴いて思ふ いよいよ新たな一歩を いよいよ新たな一歩を

40余年ぶりにそのアナログ盤を聴いて、後年CD化されているものは(乾いた金属的な音で)すべて生温いと思った。アナログ盤でこそフルトヴェングラーの真の揺らぎが(生々しい音で)聴けるのである。心底素晴らしいと確信した(なぜにこんなにも印象が違うのか?)。

1945年、ドイツ占領管区のイギリス当局は、指揮者ハンス・シュミット・イッセルシュテットにハンブルグのドイツ北西放送局のオーケストラ編成を要請した。よってイッセルシュテットは各地のドイツ人捕虜収容所まで行き、ドイツの有数なオーケストラの生き残ったメンバーを寄せ集め、さらにもとのベルリン・フィルのメンバー達を新しく加えて、戦後ドイツで2番目に構成されたのがこの放送局オーケストラである。
そして、イッセルシュテットは常任指揮者としてオーケストラ編成後6年間にわたりトレーニングを重ねた末、1951年にイギリスへ演奏旅行し成功を収め、(1953年春にも同国へ楽旅し2度にわたる成功を博した)同年に初の客演指揮者にフルトヴェングラーを招き、ハンブルグ・ムジックホールで次のブラームス・プログラムによって公演された。
 1951年10月27日
 ハイドンの主題による変奏曲
 ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲
 交響曲第1番ハ短調
  独奏 エーリッヒ・レーン(ヴァイオリン)
     アルトゥール・トレースター(チェロ)


以上の公演は当放送局により収録されたから32年経てやっとこのオリジナル録音がここにレコード化されたが、残念なことに「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」の録音は失われてしまっている。
ところでフルトヴェングラーはこのオーケストラのリハーサルに先立ち、レーンやトレースターなどかつてのベルリン・フィルの団員達と懐かしく出会い、互いに健在だった喜びに浸り、両者は一層心のかよった演奏へと集中したのだった。

(日本フルトヴェングラー協会)

この演奏は、巷間評判高いものゆえゆっくりと、そして先入観なく、すべてを忘れてただ一期一会的に聴くのが好ましい(フルトヴェングラーの実況録音は何にせよ大抵がそういう類のものだ)。

第1楽章序奏ウン・ポコ・ソステヌートから実に明朗な、ティンパニの堂々たる打撃を伴う全楽器の、いかにもブラームスという混迷の音が鳴り響き、ここにフルトヴェングラーがあるのだといわんばかりの音楽が繰り出される(これほど感動的なシーンがあろうか)。
主部アレグロに入ってからの、ややテンポを速め、ブラームスの内燃する魂の調べをここぞとばかりに気迫を込めて表現する(もはや何も要らないくらいお腹いっぱいになる感じ)。
第2楽章アンダンテ・ソステヌートは、終盤のヴァイオリン独奏をコンサートマスターのエーリヒ・レーンが受け持つが、これがまた実に懐古的で美しく、フルトヴェングラーとの再会を喜ぶ心情を見事に映している。
そして、フルトヴェングラーとしては大人しい印象の第3楽章ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラツィオーソの優美な調べに(短い時間だが)恍惚となり、続く、鬼神が憑りついたような終楽章アダージョ—ピウ・アンダンテ—アレグロ・ノン・トロッポ,マ・コン・ブリオ—ピウ・アレグロの火花散る凄まじさに(意味深いティンパニの一撃が凄い)、フルトヴェングラーのブラームスにはまったあの当時を思い出す。何という闘争と解決か。(それはベートーヴェンに優るとも劣らない)

客演であるがゆえの即興性は、壊れる寸前の危なっかしさを併せ持ち、それがまた音楽美を助長しているのだ。

シュミット=イッセルシュテット指揮北ドイツ放送響 ブラームス 交響曲第1番(1967.6.5Live)ほか

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