
ミケランジェリのショパン。
渾身の、否、自然体のマズルカは極めつけ。願わくば全曲を録音してほしかった。
レンツの報告の中では、事実に関する報告と偉大な名人たちのエピソードと共に、ショパンのピアノ演奏とマズルカの描写が興味深い。
「ショパンはその創作においてあまりにも独特だった。演奏でその独自性を表現するには、彼の物理的な力が足りないほどであった。彼にだけ与えられた自然な心情から発生する。恣意的ではなく作られたのでもない、気品に満ちた、細部をも含めたすべての表現、そして物事の見方の嗜好と親密さという点で、ショパンというピアニストは、その職業において比類のない独特の存在であった。フランスの教育を受け、フランスの習慣を身につけたポーランド(サルマート)の人間で、両方の良いところと悪いところを併せ持っていた。物理的な力不足を補うために、声楽の様式、関連性とつながり、そして細部に全力を注いでいた。かくして彼は『それまでいなかったような』パステル画の画家となったのである。—ショパンのマズルカは、サルマートの夢の世界の政治的・社会的分野における魂の旅についての日記なのだ!—そこにこそ彼の演奏の故郷があった。そこに、ショパンというピアニストの独自性が宿っていた。彼はパリのサロンで自分の夢の国、ポーランドを代表していた。ルイ・フィリップの時代、パリのサロンは彼にとって政治的な影響力を持つ場所だった。ショパンは、ただ一人の政治的ピアニストであった。彼はポーランドを表現し、ポーランドを作曲していたのである」。
~コード・ガーベン著/蔵原順子訳「ミケランジェリ ある天才との綱渡り」(アルファベータ)P52-53
リスト、ショパン、タウジヒ、ヘンゼルトらに師事したヴィルヘルム・フォン・レンツの、ショパンの演奏にまつわる報告にすべてがあるように思う、そして、まさにこの言葉にあるようにミケランジェリは、まるでショパン自身の如く演奏するのである。
甘美なマズルカ、憂えるマズルカ、文字通りポーランドを表現し、ポーランドを作曲する、ショパンの魂が乗り移るような演奏に言葉を失う。
このアルバムがリリースされた半世紀前は、マズルカというとアンコール・ピースというくらいにしかとらえられていなかった時代らしい。よって、愛好家たちは、ミケランジェリがよりによって10曲のマズルカを選んだことに随分戸惑ったそうだ。
しかし、年齢を重ね、いつぞやショパンの音楽を日常的に聴かなくなった身にとって、ショパンが生涯にわたって書き綴った、祖国の表現たるマズルカに思いのほか感銘を受ける。
何て美しい演奏なのだろう。
何て悲しい音楽なのだろう。
ここにはショパンのすべてがある。
不安定な、ヘ短調作品68-4の、生と死の間で揺蕩う音楽は一体何なのだろう?
夢か現か、このときミケランジェリは幽体離脱でもしていたのかどうなのか、あまりに人間離れした、静かな音楽に感動する。
そして、バラードト短調の、冒頭から確信じみた音に慣らされ、ショパンの絶対的に境地に持っていかれるこの凄まじさ、貴さはどういうことなのだろう?言葉で説明できない、ミケランジェリならではのマジックとしか言いようのない、自然の揺らぎと同期した完全無欠のショパンにやっぱり感動する。