ヨッフム指揮ベルリン・フィル バイエルン放送響 ブルックナー 交響曲全集(1958.2-1967.1録音)

天才とは(ギフテッド)、文字通り天とつながっていて、本人の意識とは別の所で物事を創造できる特別な能力を与えられた人なのだろう。

アントン・ブルックナーの交響曲においては、フィナーレ(終楽章)に特別な意味が与えられるべきことは、かねてから知られている。
レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P102

彼の描いた交響曲は、すべてが同じ形式の中で書かれたいわばフラクタルであり、そのエネルギーの進化、深化は年代が進みにつれ強化されて行く傑作揃いだ。中でも、不要なものが淘汰され、音楽的に重要な要素が一気に昇華される終楽章のコーダこそ聴きどころであり、これほどの感動を喚起する「時間」あるいは「空間」はないのではないかと思えるくらい。

音楽こそ「時空」の、否、「時空」を超えた普遍の芸術だとあらためて確認する次第。
それは、ブルックナーが意識せず、まさにレオポルト・ノヴァークが指摘するように、きわめて緻密な「論理的バランス感覚」を、少なくとも作曲家という意味においてのみ有していたことが大きい。

ブルックナーにとって、「論理的バランス感覚」とでも呼びうるこの直感は、その音楽が特別なデュナーミクの原理にしたがっているとすると、さらに重要であった。その原理とは、クルトが波動運動と呼んでいるものである。この「運動的なもの」は、ひとつの秩序にさらに従う必要がある。そうしないとそれはおそらく、あらゆる「形式の限界」を越えて溢れ出してしまうからである。「比例数」の神秘に満ちた作用がすべての部分に及び、その力がそうした過剰から救っているのである。それだけではない。比例数はまた、上述の均斉のとれた対応を生み、その中で、デュナーミクの満干が危なげもなく展開されうるのである。
~同上書P116-117

年齢を重ねるごとに聴く喜びが増して行く。
オイゲン・ヨッフムの旧い方の全集から各々の交響曲の終楽章コーダだけを繰り返し聴いた。ここには紛れもなく圧倒的な宇宙の音がある。

ブルックナー:交響曲全集

・交響曲第1番ハ短調(ノヴァーク版1865/66リンツ稿)
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1965.10.16-19録音)

終楽章はやはり素晴らしい。ヨッフムの力の抜けた指揮が宇宙の鳴動たるブルックナーの音世界を見事に捉える容姿に心が動く。ブルックナーはこの時点ですでにブルックナーだったことがわかる。

・交響曲第2番ハ短調(ノヴァーク版1875/76稿)
オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団(1966.12.27-29録音)

ブルックナーの音楽は外に弾ける。無限の音世界が、無情に、ただひたすら動的瞑想の如く、うなる金管群の咆哮を余所に、愛や智慧を喚起する。個々はヨッフム指揮バイエルン放送響の真骨頂。

・交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」(ノヴァーク版1887/89稿)
オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団(1967.1.8録音)

森厳な静寂と、天から舞い降りる壮大なコラールの対比。ブルックナーの真髄ここにあり。
ヨッフムが大見得を切る。

・交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ノヴァーク版1878/80稿)
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1965.6.22-7.5録音)

そうして、第4番以降のブルックナーはさらに終楽章の重みを増す。さらなる高みへと昇り詰めていくブルックナーの本懐。美しい旋律、溌剌たるリズム、生命力漲る音楽がここぞとばかりに弾けるのである。

・交響曲第5番変ロ長調(ノヴァーク版)
オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団(1958.2.8-15録音)

ブルックナー全集の劈頭を飾った第5番フィナーレの、荒ぶるブルックナーの野心があからさまに示された大伽藍。名演である。

・交響曲第6番イ長調(ノヴァーク版)
オイゲン・ヨッフム指揮バイエルン放送交響楽団(1966.7-1-3録音)

ブルックナーの交響曲の中でもマイナーながら深遠な、知れば知るほど味わい深い第6番の真髄こそフィナーレにあり、これぞヨッフムの棒による稀代の名演だと僕は思う。

・交響曲第7番ホ長調
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1964.10.6-10録音)

第7番のフィナーレは大所の2楽章の重量に比してあまりにも軽いのが残念だが、ブルックナーの交響曲を愛する者にとって重要な、極めて可憐な音楽だ。ヨッフムは愉悦を表わし、弾ける。

・交響曲第8番ハ短調(ノヴァーク版1887/90稿)
オイゲン・ヨッフム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1964.1.13-24録音)

ブルックナーのフィナーレの結論ともいうべき名曲の、すべての主題が見事に絡み合う最高のコーダは、いつ聴いても感動的だが、ヨッフムのここでの解釈はあまりに性急で、あまりにスケール小さく感じてしまうのが残念だ。

たとえそれでもブルックナーの音楽は永遠不滅だと信じて疑わない、人類の至宝たる終楽章コーダの完璧さに言葉を失う。
そうなると、やはり最後の交響曲第9番に終楽章を欠くことがとても哀しい。


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