
《イドメネオ》のあと、次のオペラを書くまでの18ヵ月の間に、モーツァルトの身辺には3つの重要な出来事が起きた。すなわち、ザルツブルク大司教との決裂、父親との別居、そして、コンスタンツェ・ウェーバーとの婚約である。実際に彼は、新しいオペラが上演されて1ヵ月も経たないうちに結婚してしまうことになる。しかし、彼の生きていく上で真の転回点となったものは、《イドメネオ》であった。《イドメネオ》の作曲とその成功によって、モーツァルトは、自分が将来を約束された作曲家であって、自活していけるという確信を得たのである。彼は、それまでは父親の専制や大司教の侮辱にも、でき得る限り耐えてきた。だが《イドメネオ》以降の彼は、もうそのどちらにも我慢をしなくなってきた。
~エドワード・J・デント/石井宏・春日秀道訳「モーツァルトのオペラ」(草思社)P81
歌劇「イドメネオ」が転回点であるならば、歌劇「後宮からの誘拐」は、物質的のみならず精神的自立を得たモーツァルトの心機一転の作であり、以後、彼はいわゆるザルツブルク時代とは異なる、一味も二味もレベルの高い、優れた音楽をラッシュのように書き上げるようになる。歌劇(ジングシュピール)「後宮からの誘拐」はいわばその狼煙のようなものだ。
ジングシュピールが、歌のついた芝居からイタリア歌劇に劣らぬオペラの地位を得ることになったのはまさにこの「後宮からの誘拐」によってだが、この歌劇の延長線上に「魔笛」があり、ベートーヴェンの「フィデリオ」、あるいはウェーバーの「魔弾の射手」があり、ひいては後のワーグナーやリヒャルト・シュトラウスの楽劇もあるのだと考えると、モーツァルトの先見、同時に音楽的天才の妙を賞讃せずにはいられない。
また、何より僕が絶賛したいのは、台本の、単純なハッピーエンドではない、意味深い終幕ヴォードヴィルの意味深い内容についてである。セリム(太守)の器の大きさ、報復ではなくあえて放免し赦す心構えと姿勢であり、今、大清算の時期にあって僕たちが真に学ばねばならない(悪縁を自ら断ち切るという)絶対真理(大宇宙の法則)が既にこの中にあったことに驚愕するのである。
そなたは自由を受け取り
コンスタンツェを連れて故国へと船を走らせ
そしてそなたの父に言うのだ
そなたはわが手のうちにあったが
こう告げさせるためにわしは自由にしたと
苦しめられてきた不正に対して善行で酬いることが
悪行を悪行で報復するよりも一層大きな喜びであるのだということを
~オペラ対訳プロジェクト
ベームは「魔笛」がことのほか素晴らしいが、ジングシュピールの先駆けとなる「後宮からの誘拐」においても硬派の、堂々たる名演を聴かせてくれる(序曲からエネルギッシュに弾ける勢いに心を奪われる)。そして、ベルモンテのペーター・シュライアーをはじめ、コンスタンツェのアーリーン・オジェー、ブロンデのレリ・グリストの歌唱がそれぞれ絶品!クルト・モルの十八番オスミンに至っては、何と彼が35歳の時の録音であり、ユーモアのあるまるで老練の(?)歌が実に心地良い。
それにしても「後宮からの誘拐」の、18世紀後半のオリエンタルへの憧れともいうべきエキゾチックな(?)音楽に喜びを隠せない。また、台詞のパートをあえて俳優に語らせているところが丁寧な作りであり、特に違和感もなく音楽そのものを楽しめるのだから素晴らしいと思う。

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