
超生了死を得るのには、正信が必須だと釈迦は説いた。
そして正信を獲得するには、正見、正思、正業が要るのだという。まだまだ道は遠い。
ヴァーグナーがインドの宗教と哲学を学んで知りえたすべての思想のうちでも、輪廻転生の教えほど彼にとって大きな意味をもったものはなかった。芸術家ヴァーグナーにとってばかりではなく、人間ヴァーグナーにとってもである。これ以上ないほどの深い確信をもって彼は自らそれを信じていた、ということにほとんど疑いの余地はない。すでにたびたび引用した1855年6月7日のリスト宛の手紙では、彼はショーペンハウアー的符牒でこう書いていた。
「こうした聖者の一人がブッダでした。彼が説いた輪廻の教えによれば、生きているものはすべて再び生まれ変わるといいます。それも自分が苦痛を与えてしまった当の生き物の姿にです。人は、たとえそれ以外にはまったく清らかに生涯を終えたとしても、もしある生き物を一度でも苦しめたならば、まさにその生き物に生まれ変わり、そうして自ら身をもってその苦痛を知るのです。そしてそれ故、生まれ変わっても一生涯もはや決してどんな生き物にもいかなる苦しみをも与えず、彼らとの共感のうちに、自分自身の生への意志をすっかり否定するようにならない限り、この苦しみに満ちた流浪の旅が終わることはない、転生しないことはありえないのです。」
~カール・スネソン著/吉水千鶴子訳「ヴァーグナーとインドの精神世界」(法政大学出版局)P46
少なくともこの時点ですでにワーグナーは直感的に理解はしていたようだ。
晩年の「再生論」の萌芽はここにあった。
終わることのない「苦しみに満ちた流浪の旅」の解決の術は今や縁さえあれば手に入るようになったけれど、19世紀の後半にあってそれは不可能だった。そのことはおそらく、この論文を書いたカール・スネソンさえ知らなかったことだろう。
そもそも私たちが生々死々を繰り返すのはなぜか?
心の、魂の成長を促すためである。そして、ようやく故郷へ帰る秘宝(手形?)を手に入れたとき、流浪の旅は終わるのだという。
生命と不殺生(アヒンサー)への尊敬は、インドのほとんどすべての宗教的哲学的伝統において等しく道徳の基盤となるものである。こうしたすべての生きとし生けるものとの連帯感、共感は、パルジファルが白鳥を射殺したときにグルネマンツが浴びせる激しい叱責のなかに、より強く感動的に表現されている。
~同上書P124
不要に因果を作らない方が良いということだ。
第1幕、グルネマンツはパルジファルに諭す。
前代未聞の所業だ。
この静穏な森にありながら
よくも殺生ができたものだ。
神苑に遊ぶ動物たちは、お前になついてこなかったか?
親しげに無邪気な挨拶を送ってきただろうに。
木の枝から小鳥たちは何と歌いかけた?
おとなしい白鳥がお前に何をしたというのだ。
伴侶を求めて空へ舞い上がり
ともに湖上を飛びまわろうとしただけ。
沐浴のために湖を浄めてくれたのに
その神々しさに打たれもせず
たわいない弓矢遊びにうつつを抜かすとは。
われらにはかけがえのない白鳥だった。それが、どうだ?
ここに—さあ、よく見ろ!—ここに矢が当たったのだ。
まだ血がこびりついたまま、翼はだらりと垂れている。
雪のように白い羽根には、どす黒いしみが—
この見開いたままの眼を、お前は正視できるか?
(グルネマンツの話を聞くうちに、しだいに気持ちが高ぶったパルジファルは、ここで弓をへし折り、矢を投げ捨てる)
自分のしたことの罪深さがわかったか。
(パルジファルは片手で両瞼を覆う)
おい小僧、自分の罪の大きさに気づいたか。
どうして、あんなひどいことを?
~日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫・池上純一編訳「パルジファル」(白水社)P25
これに対し、パルジファルは「罪とは知らなかった」と答えるのである。
ここには、最晩年のワーグナーが到達した、ブッダに感化された巨匠の思想の真髄がある。そして、その罪深きパルジファルこそが、聖愚者、すなわち救世主であったことがついに第3幕で明かされるのだ。パルジファルはあまりの痛ましさに棒立ちになり、嘆く。
それなのに、私は—私こそ
こうしたすべてを招いた張本人。
ああ、いかなる罪科が
如何なる冒瀆の振舞いが宿業となって
この愚か者の頭に
永劫の昔からのしかかっていたのか。
どれほど懺悔しようと、贖罪を重ねようと
盲いを解かれることもなく、
救済のために選ばれた身でありながら
迷妄の荒野に迷い込み
ただひとつ残された救いの道を見失うとは!
(気を失って倒れそうになるところをグルネマンツが支え、小高い草地に座らせる—クンドリはパルジファルにかける水を汲みに桶を手に駆け出し—戻ってくる)
~同上書P93
いよいよ「聖金曜日の奇蹟」につながるパルジファルの真の覚醒シーンの感動。
ヘルベルト・ケーゲルの演奏を聴いて、第1幕と第3幕の、因果律を超える愿力のあたわる場面(?)のあまりの神々しさと明晰で透明な音響は筆舌に尽くし難い。
ライプツィヒはコングレスハレでのライヴ録音。半世紀近くを経ても色褪せることのない聖なる(没我の)美しさ。
これほどまでに無為自然の境地を示す「パルジファル」が他にあろうか。ハンス・クナッパーツブッシュですら成し得なかった回答がここにはあるだろう。
世界はもともと調和の中にあったのだということをワーグナーは知っていた。
そして、今さらながらだけれど、巨匠の思想の断片を見事に紡いで音化したケーゲルの天才を思う(第1幕の前奏曲からして別格)。
すべてが生々しい。
最後の食卓、そしてそれが最後の晩であったが、彼は言った。「かなうことならセイロンへ亡命できたら最高だろうな。こう日が短くては憂うつになるよ。まるで冬が永遠に続くみたいだ・・・。
「コジマの日記」1883年2月10日
~カール・スネソン著/吉水千鶴子訳「ヴァーグナーとインドの精神世界」(法政大学出版局)P157
死の3日前のワーグナーの脳裏にはやはりブッダの存在があった・・・。