ミュンヘン・フィルハーモニーの、いぶし銀の、無骨ながら重厚で精緻な音。
金管群の咆哮は強力で、弦楽器群の嫋やかな響きとともに、世界の表象たる陰陽の顕現だろう。こんなに素晴らしい演奏だったとは気づかなかった、否、気づけなかった。
・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調
ルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1975.5.25-27録音)
ルドルフ・ケンペは若くして急逝したが、音楽監督を務めたミュンヘン・フィルとの演奏はどれもが(地味ながら)会心の出来を示しており、特にブルックナーの交響曲は録音から半世紀を経た今も普遍的な「意味」を持つ名演奏だ。
交響曲第5番変ロ長調終楽章アダージョ—アレグロ・モデラート。
どこを切り取っても踏み外しのない、生々しい、渾身のブルックナー。作品そのものの求心力と演奏の遠心力が掛け算となって、見事にゼロ地場の如くの、「空なる」世界を表出する。
(こんなに素晴らしい演奏だったのかとため息が出る。確かに高校生にこの滋味はわからないかも)
「わすれなぐさ」 ウィルヘルム・アレント
ながれのきしのひともとは、
みそらのいろのみづあさぎ、
なみ、ことごとく、くちづけし
はた、ことごとく、わすれゆく。
~「海潮音」上田敏詩集(新潮文庫)P72
水は留まるところを知らない。
上田敏博士による全文ひらがなのこの名訳は、鴨長明「方丈記」の如くの無常観。
変数たる世界にあって、残りゆく芸術の普遍のなかにブルックナーのこの楽章があろう。
(音楽は、まるで終わることのない輪廻のよう)
そして、中でもルドルフ・ケンペ指揮ミュンヘン・フィルハーモニーによる演奏は座右の盤としての最右翼の一つだろうと僕は思う。