クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィル ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調(フランツ・シャルク改訂版)(1959.3.19Live)

レオポルト・ノヴァークは書く。

熱狂的な弟子や友人たちの助力も、彼に自己矛盾をもたらした。彼らは形式や楽器法における変更を忠告し、自ら改作に乗り出し、ブルックナーも加わることもあったが、ほとんどは彼の許しも得なかったので、作品の少なからぬ箇所は別の外観を示すことになった。彼らはこうして交響曲を上演したため、形式が変えられた箇所では、「ブルックナーは正しく構成されたソナタ形式を掛けない」という不正確な評価を導くことになった。一方で、その助力は効果のある助けでもあった。なぜなら弟子たち、とくにレーヴェやシャルク兄弟は、そうすることで熱愛する先生のために世間の評価を手に入れたからである。しかしそれは他面において、真のブルックナーを隠してしまうことでもあった。
「ブルックナー 矛盾のはざまの天才」
レオポルト・ノヴァーク著/樋口隆一訳「ブルックナー研究」(音楽之友社)P19

すべてに功罪がある。しかし、弟子たちの愛情のおかげだとするならその行為は彼にとってすべて是だった。ブルックナーの出逢った人も事もモノも、すべては彼にとっての「善知識」であった。つまり、そういう事態を超えて、1世紀後にはブルックナーの孤高が文字通り唯一無二の音楽として世界に認知され、受容されるようになったことは彼の中では当然のことだった。

それでも人々は、この社会的に一風変わった外見の上に、シーザーにも比すべき頭が出ていることを認めたのだった。謙虚であればあるほど、ブルックナーは表に出さない自負に溢れていた。なぜなら彼は自分の音楽の価値について完全に自覚し確信していたからである。つまり彼の中には恭しさとともに、あらゆる忌まわしいことに抗い最後には勝利を収めたというプライドが住んでいたからである。彼が死んだとき、葬儀は王侯に比すべきものであった。
~同上書P20

7年前に聴いたゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮読響のブルックナーの交響曲第5番変ロ長調(フランツ・シャルク改訂版)の威力は絶大だった。あのコンサートの感動は決して忘れられない。さすがに音響的効果をねらったシャルクの編曲だけある、ライヴでこそ生きる、怒涛のシンバル&トライアングル効果をもたらす終楽章コーダの熱狂。息ができないくらいの興奮をあのとき僕は覚えた。

久しぶりにハンス・クナッパーツブッシュを聴いた。
ミュンヘン・フィルとのライヴ録音。整理整頓されたウィーン・フィルとのスタジオ録音とは血の通い方がまったく違う凄演。この終楽章を聴けば、そもそもなぜクナッパーツブッシュが弟子たちの思念が入った改訂版に固執して演奏を続けたのか、その意味がよくわかる(楽章として重要なパートがそっくりカットされているのは残念だが)。何て熱いのだろう。音楽をすることの喜びが至る箇所に溢れている。

・ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(フランツ・シャルク改訂版)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(1959.3.19Live)

思わず繰り返し聴いた。
外観がどんなであろうとそこに心が通っていれば音楽は感動をもたらしてくれる。
クナッパーツブッシュのブルックナーは文字通り生命力に満ちている。じゃかじゃかと鳴らされる打楽器群がブルックナーの本質から外れていようがいまいが、深層に眠るブルックナーの心ははっきりと聴きとれるのだから素晴らしい。何より指揮者自身が音楽に共感し、オーケストラと共鳴、そして共創を起こしていることが手に取るように見える。
最高だ。

過去記事(2020年1月27日)
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