バーンスタイン指揮イスラエル・フィル ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」(1986.9Live)ほか

肺を冒されたバーンスタインの最晩年のインタビューには次のようにある。

しばらく前から、私は演奏会の間に以前にも増して苦しい思いをしますし、予想以上に疲れ、規則的に呼吸するのに困難を覚えるようになっています。ですから、お医者さんたちの執拗な忠告を肝に銘じるべきなのでしょうし、今後、演奏会の回数はずっと少なくなると思います。すぐにまったく断念はしないとしてもね。それが人生というものですし、人生をあるがままに受けとめる術をわきまえなければなりませんから。私の方は、相変わらず、人生、この人生を狂おしいほど愛している人間です。私は休息を必要としているし、年老い、疲れ、病に冒されています。でも、私の言葉を信じて欲しいのですが、私にはまだ言うべきことが他にもあるのです。この世で!
バーンスタイン&カスティリオーネ著/西本晃二監訳/笠羽映子訳「バーンスタイン音楽を生きる」(青土社)P179

逝去の1年前の言葉は真に迫る。
亡くなるにはまだ早い。そういう無念が彼の中にはあったことだろう。

身体がいうことをきかなかったのだとは思いたくないが、リリース当時、賛否両論、どちらかというと否定的な見解が大勢を占めた異形のドヴォルザークを聴きながら、死の数年前から、バーンスタインの身体の調子は決して万全ではなかったのではないかと思った。例えば、テンポの問題。世に異形の演奏は数多あるけれど、名演奏の場合、いずれも意味深いテンポ設定であり、必然的であることが理解できる。しかし、このドヴォルザークは最初から最後までどうにも精彩を欠く。言うべきことがあったとしても、心身が健康でないと人は物を語ることもできなければ、他人を感化することもできない。いかにもその最たるケースではないかと思わされるくらいの絶不調。
第1楽章呈示部の反復はなくもがな。それに、20分近くを要する第2楽章ラルゴも、回顧や感傷に浸れるうちは良いものの、そのうちそのあまりの粘りように辟易するほど(そもそも音楽自体がそこまでの官能を求めていない)。強いて言うなら、第3楽章スケルツォは活気があるけれどそれもまやかし(?)。同じく終楽章アレグロ・コン・フォーコの空虚な空回り。どこをどう切り取ってもこの傑作を楽しむことができないのである(久しぶりに耳にしたが、相変わらずの愚鈍さ)。

ドヴォルザーク:
・交響曲第9番ホ短調作品95「新世界から」(1986.9Live)
・スラヴ舞曲集作品46から(1988.6Live)
 第1番ハ長調プレスト
 第3番変イ長調ポコ・アレグロ
 第8番ト短調プレスト
メリル・グリーンバーグ(イングリッシュ・ホルン)
レナード・バーンスタイン指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

「新世界から」から2年後のスラヴ舞曲はそれでもまだ生命力満ちる。
音楽が有する呼吸とバーンスタインの呼吸が一致しているのである。生きる希望、そして生きる愉しみ、人と交わる官能、指揮者の求めるすべてがここに含まれているように僕は思う。

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