ホルスト・シュタイン指揮バンベルク響 R.シュトラウス アルプス交響曲作品64(1988.5録音)ほか

あまりに忙しくて時間があっという間に過ぎて行く。
記事の更新もままならず、今夜も23時を過ぎてやっと静かに音楽を聴く時間が手に入ったところ(少なくとも僕にとって音楽は心を亡くさないための処方箋だ)。

「作曲の手順はそう易々と説明できるものではない」シュトラウスは答えた。「霊感が訪れても、それはあまりにもかすかで漠然とした鬼火のような性質のものであり、従って定義を拒む。この上なく霊感に満たされた時であれば、明確で説得力のある幻視が目に浮かび、それは、より高められた自分自身を包み込んでいる。私はそんな瞬間、瞬間に、君や私や万物を無限で永遠のエネルギー源から、活力を得ているのを感じる。宗教ではそれを神と呼ぶ。私は今、スウェーデンの大神秘主義者スウェーデンボルグの独自の体験にとても興味を持っている。いつか時間をとって、この件をもっとじっくり話してみよう。」
アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P127-128

作曲とはある意味特殊能力であり、そのからくりを簡単に説明できるものではないのだろう。つまり、真理同様言葉にできないのである(記号化された楽譜の功罪がそこにある)。

リヒャルト・シュトラウスの天才。
交響詩にせよ歌劇にせよ、いかにもシュトラウスという巧みな筆による生き生きとした音楽の美しさ。完璧な形で紡がれた音楽を再生するのに、おそらく楽譜に忠実に取り組むのがベストなのだと思う。

職人ホルスト・シュタイン指揮による「アルプス交響曲」。それぞれの楽器の上手さ。ウィンドマシーンのリアルな再現、アルプスへの登山の情景を見事に描くオーケストラの技量、どこをどう切り取ってもその生々しさに心が動く。

リヒャルト・シュトラウス:
・メタモルフォーゼン(23の独奏弦楽器のための習作)(1945)
ジュゼッペ・シノーポリ指揮バンベルク交響楽団(1995.12Live)
・アルプス交響曲作品64(1911-15)
ホルスト・シュタイン指揮バンベルク交響楽団(1988.5録音)

そして、哀悼のメタモルフォーゼンがシノーポリの棒によって明確な輪郭で描かれる様子に、音楽が作曲家と指揮者、また演奏家との見事なコラボレーションによって成されるものであることをあらためて思う。

曲のタイトルが『メタモルフォーゼン』と複数形になっているのは、ゲーテの『穏やかな風刺詩集』からの「植物のメタモルフォーゼ」と「動物のメタモルフォーゼ」の二篇の詩を示唆していると思われる。シュトラウスはこれらの詩を、最初のスケッチ帳に書き込んでいるからである。

「誰も自分自身を知ることはなく/自分そのものから離れることはない/だが彼は毎日/彼が何であり、何であったか/何ができ、何を好むのかを/外に向かって明かそうとする(・・・)」
田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P386-387

ポール・ゴーギャンの『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を連想させる内省的な音楽の宝。しかし、いずれにせよ問いの答を見出すことは叶わなかった。所詮僕たちの肉体は、そして現実は破壊と創造を繰り返す変化の中にあるからだ。
シノーポリの生み出す音楽は実に哲学的。解放され、最後は沈潜していく様子が諸行無常を表わし、望郷の美しさを醸す。


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