東京クヮルテット ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」ほか(2005.4録音)

世界の歴史は報復の歴史だともいえる。
1805年10月のトラファルガー海戦で敗れた仏ナポレオン軍は、その後オーストリア、ロシア、そしてプロイセンを破り、大陸の覇者となったが、どうにか残るイギリスを我がものにせんと、戦術を練り、イギリスへの報復として1806年11月21日にいわゆる「大陸封鎖令」を発布した。

第一条 イギリス諸島を封鎖状態に置くことを宣言する。
第二条 イギリス諸島との貿易・通信はいっさい禁止される。したがって、イギリス宛、イギリス人宛の、もしくは英語で書かれた書簡あるいは小包は郵送されず、差し押さえられる。
第三条 わが軍隊もしくは同盟国軍隊の占領地域に見出されるイギリス臣民は、いかなる身分・地位のものでも、戦争捕虜とされる。
第四条 イギリス臣民に属するあらゆる商店・商品・財産は、いかなる性質のものであれ、正当拿捕を宣せされる。
第五条 イギリス商品の取引は、禁止される。イギリスに属するか、あるいはその工場ないしは植民地からもたらされる商品はいっさい正当拿捕を宣せられる。
第七条 イギリスもしくはイギリスの植民地から直接来たか、あるいは本勅令の公布後そこに寄港した船舶は、いっさい大陸のいかなる港にも入港せしめない。
第八条 虚偽の申告により、前述の規定に違反する船舶はいっさい拿捕され、船舶および積荷は、イギリス財産として没収される。
吉田静一「岩波講座世界歴史18『ナポレオン大陸体制』」(岩波書店)P218

ヨーロッパ社会は混乱した。こういう措置は結果的に自身の首を絞めることになるのが常であるが、ナポレオンの場合も相違なかった。

当時、作曲家として一本の柱で生活を支えなければならなかったベートーヴェンも、イギリスとの通信に支障を来したそうだ。出版社B&Hは、戦争による契約状況の悪化に言及し、提供された作品(作品59、作品58)の買い取りの断念を通告した。その後、ベートーヴェンは作品58~62を一括でイギリス、フランス、オーストリア、ドイツ市場での時間差多発出版を模索している。

ごくかいつまんで、耳疾が次第に演奏活動を阻害していった経緯を振り返ったが、ピアニストとしてのコンサートの売り上げはまったく見込めなくなる。出来上がった作品は、コンサートを開いて入場料を徴収するか、製品として社会化しなければ収入には結びつかない。大規模なシンフォニーなどは、出版社も及び腰になり買い手はなかなか付かず、しかもいったん世に出ると演奏著作権がない当時にあっては他人がコンサートで取り上げて稼ぐ元となってしまうので、自分自身でまず上演をということになる。実際、七重奏曲は作品の完成から出版まで2年もの開きがあるし、最初の2曲のピアノ・コンチェルトは活発に演奏旅行をしていた時代にその定番作品であった。またピアノ・コンチェルト第3番も、弟子のリースに代わって演奏させるため出版を延ばしてもいる。そして「大作品」を並べた個展のような大コンサートを開くにはよりいっそうのエネルギーと、集客に失敗したときのリスクを負う覚悟が要る。ナポレオン占領下ともなるとなおさらである。
大崎滋生著「史料で読み解くベートーヴェン」(春秋社)P87-88

大崎さんの奥深い考察を読むにつけ、人間ベートーヴェンの(作曲活動に限らない)苦悩を思い知り、彼が生きるためにどれほどの困難を強いられたかがよくわかり、興味深い。そして、ベートーヴェンは知恵を絞り、海賊版問題などにも果敢に対抗し、同時多発出版なる手法を編み出した点も賞讃に価する。大崎さんは「同時多発出版」について以下のように推測されているが、その点にもまた納得させられる。

以上、3通りの多発出版はすべてハイリゲンシュタットから帰還後の1802年末から1803年にかけて実現されたもので、ハイリゲンシュタットに籠もっていたときに、今後の生計維持を考え、すなわち、音楽活動が作品出版を主軸にせざるを得ない現実を受け止めて、戦略として編み出されたのではないか、と私は見ている。改めて言うならば、ベートーヴェンの音楽家活動が楽譜出版を中心に展開されるという誰の目にも明らかな事実は、耳疾と不可分の関係にあったということである。「いっそう完全であるべき感覚器官の不全」が及ぼすのは、音楽を鳴り響かせる現場での活動ができなくなる、机上の仕事に限定せざるを得なくなる、ことであった。
~同上書P101

作品59は文字通り、大陸封鎖令の発令された1806年11月に完成し、ラズモフスキー伯が1年間占有することになった。

ベートーヴェンの苦労の跡は作品そのものには実感できないが、華麗なる作品の多くがこれほどの血と汗の結晶であったことを知るにつけ切なくなる。そういう視点を理解してから聴くベートーヴェン作品の更なる神々しさ。

久しぶりに東京クヮルテットを聴いた。

ベートーヴェン:
・弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」(1806)
・弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」(1806)
・弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」(1806)
東京クヮルテット(2005.4.26-29録音)
マーティン・ビーヴァー(ヴァイオリン)
池田菊衛(ヴァイオリン)
磯村和英(ヴィオラ)
クライヴ・グリーンスミス(チェロ)

音楽の奥床しさをストレートに、そして有機的な響きを見事なアンサンブルで再生する四重奏団の(ある意味)ほぼ最後の光輝といえまいか。何だか、この作品群の素晴らしさを初めて知ったような錯覚に陥るほどにすべてが瑞々しい。

中間部で、有名なロシア民謡の旋律が引用される第2番第3楽章アレグレットの歓び、あるいは、第3番第2楽章アンダンテ・コン・モート・クワジ・アレグロの憂愁、慈悲、すべてが理想的だ。

東京クヮルテットのベートーヴェン「ラズモフスキー」四重奏曲(2005録音)を聴いて思ふ 東京クヮルテットのベートーヴェン「ラズモフスキー」四重奏曲(2005録音)を聴いて思ふ

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