こころを開いて

祭りの後の何とやら、と諺ではいうが、何だか今日は「こころ」がわさわさし、落ち着かない。別に落ち込んでいるわけでもない。嫌なことがあったわけでもない。

昼は西新宿で友人と今月実施する講座のミーティングをし、そのあと音楽関係の仕事を請け負っている関係で代々木八幡まで足を伸ばし、打ち合わせをした。

寂しいはずはないのだが、何とも表現できない感覚が去来するような不思議な感覚が身体を襲う。昨日の講座の報告を書いていて、あらためて僕自身のテーマが「愛」や「勇気」、そして「シンクロ(一体化)」であることに気づいた。とてもおこがましい言い方なんだけど。ベートーヴェンの第9について講義をしながら、人って誰しも「愛されたい」と願っているし、「人を愛したい」とも想っている。そして「一つ」になりたがっているんだ、ということを強く感じたのだ。終了後、聴いていて涙が出てきたっていう人もいた。「人類皆兄弟、みなが平和でありますように」という「祈り」の音楽をそこにいた皆とまさに共有した。そういう「お祭り」の後だから、余計に「孤独」を感じてしまうのかもしれない。

自分自身を表現せねば。自分自身を伝えねば。人と一体になるとき必要とされる「勇気」。カミングスは「勇気というのは人間の徳の中で最も重要なものである」と言った。

ヘンデル:オラトリオ「メサイア」
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
マーガレット・マーシャル(ソプラノ)
チャールズ・ブレット(カウンターテナー)ほか

どういうシーンだったかは忘れてしまったが、特に有名なのは「新世紀エヴァンゲリオン」にも使われていた「ハレルヤ・コーラス」。キリストの受難と贖罪が歌われる第2部の最後に復活へと神を賛美する合唱が声高らかに歌い上げる。

ハレルヤ、全能者であり、わたしたちの神である主が王となられた。
この世の国は、われらの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。
王の王、主の主

「エヴァ」のテーマもそういえば「愛」、「勇気」、「シンクロ」だ。クリスマスの時期になると欧米ではこの「メサイア(救世主)」が頻繁に演奏される。バッハの「マタイ受難曲」や「ヨハネ受難曲」と比して、幾分軽く、かつ明るい万人受けする曲調、そして内容。バッハは間違いなく宇宙人だと思うが、ヘンデルは明らかに人間である(そういう意味であえていうなら、モーツァルトは宇宙人、ベートーヴェンは人間だろう)。「人間」の音楽を聴いて、「こころ」を開いて「愛」を感じよう。

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