ガルー ロペス サバール指揮ル・コンセール・デ・ナシオン ヴィヴァルディ 歌劇「テウッツォーネ」RV 736から第1幕「なんと苦しい恐怖」(2011.6録音)ほか

歴史の記録は、忘れ去られた時間と空間の記憶を喚起する。
今やほとんど上演されることがないであろうアントニオ・ヴィヴァルディの諸歌劇。
抜粋ながらいくつかの歌劇のアリアは時に劇的であり、時に抒情に溢れ、見事に美しい。

歌劇「アルジッポ」RV.697(1730)から第1幕アリア「まだ光が遅いなら」の雄渾。
軽快ながら推進力高い音楽は、アルバム劈頭から何と刺激的であることか。

(ヨハン・ヨーゼフ・フォン・ヴルトビ)伯爵は複数の重職を務めており、総理大臣、最高裁長官、世襲財務官であった。オペラのファンで、台本を読んで、演出を批評する習慣があった。『ファルナーチェ』は「大いなる賞讃」に値し、『アルジッポ』(Argippo)は「もっとも偉大なものになるだろう」と彼は書いた。特筆すべきはこの機会に注文されたリュートのための複数の作品である。
この数ヶ月間、ヴィヴァルディは集中的に仕事をし、ヴェネツィアに戻るときにはボヘミア製の紙に書かれた多くの楽譜を持ち帰った。

ジャンフランコ・フォルミケッティ/大矢タカヤス訳「ヴィヴァルディの生涯 ヴェネツィア、そしてヴァイオリンを抱えた司祭」(三元社)P233

あるいは、歌劇「貞節な妖精」RV.714(1732)から第1幕アリア「アルマは残酷な運命に苦しめられて」は、ピオーによるソプラノの性急でありながら人間の心情を見事に表現する力量に唖然とする。

1732年もドン・アントニオはヴェネツィアの外で新しい年を迎えた。1月6日、ヴェローナのフィラルモニコ劇場のこけら落としのために『貞節な妖精』の初演が行われたからである。この劇場はフランチェスコ・ビビエナの設計で、5層のボックス席があった。スコアを見るとこの作品がどれほど壮大なものであったかが分かる。
~同上書P236-237

そして、「アテナイーデ」RV.702(1728)の第3幕Cor mio che prigion seiでのシュトゥッツマンの深みのあるコントラルトに思わず感涙。何という慈悲!

1728年12月28日、ヴィヴァルディはフィレンツェのペルゴラ劇場にいた。そこで、シーズン最初のオペラ、アポストロ・ゼノが台本を書いた『アテナイーデ』(L’Atenaide)をアンナ・ジローの主役で演出していたのである。すべてがうまく行き、18歳の主演歌手の演技は褒め讃えられ、特にその容姿については次のようなソネットまで作られた。

君の優美な歌、優美な声で
空にふたつの朝の星が昇り、
君の瞳は、心の甘い悩みを
太陽の光のように飾り、すばらしい天気だ。

風が葉叢を吹き抜けるとも、
サヨナキドリが愛を語るとも見えぬのに、
君の甘美な歌声はあらゆる心を動かす、
無限の魔力とおんなの優しさによって。

(以下続く)
~同上書P231

ヴィヴァルディ:オペラ・アリア集第2巻
・歌劇「アルジッポ」RV 697~第1幕「まだ光が遅いなら」
ロミーナ・バッソ(コントラルト)
フェデリコ・マリア・サルデッリ指揮モード・アンティクォ(2008.5録音)
・歌劇「怒れるオルランド」RV 728~第1幕「そなたの下でだけだ、愛しい人よ」
フィリップ・ジャルスキー(カウンター・テナー)
ジャン=クリストフ・スピノジ指揮アンサンブル・マテウス(2012.7録音)
・歌劇「貞節なニンフ」RV 714~第1幕~「アルマは残酷な運命に苦しめられて」
サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)
ジャン=クリストフ・スピノジ指揮アンサンブル・マテウス(2008.4-5録音)
・歌劇「アテナイーデ」RV 702~第3幕Cor mio che prigion sei
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト)
フェデリコ・マリア・サルデッリ指揮モード・アンティクォ(2007.4録音)
・歌劇「グリゼルダ」RV 718(抜粋)
マリー=ニコル・ルミュー(コントラルト)
ジャン=クリストフ・スピノジ指揮アンサンブル・マテウス(2005.11録音)
・歌劇「貞節なニンフ」RV 714~第2幕「ああ、あなたは身をかがめ」
トピ・レティプー(テノール)
ジャン=クリストフ・スピノジ指揮アンサンブル・マテウス(2008.4-5録音)
・歌劇「グリゼルダ」RV 718~第2幕「このティラナの掟」
フィリップ・ジャルスキー(カウンター・テナー)
ジャン=クリストフ・スピノジ指揮アンサンブル・マテウス(2005.11録音)
・歌劇「怒れるオルランド」RV 728 ~Amorose ai rai del sole
ジェニファー・ラーモア(メゾ・ソプラノ)
ジャン=クリストフ・スピノジ指揮アンサンブル・マテウス(2012.7録音)
・歌劇「館のオットーネ」RV 729~第1幕「嫉妬」
ユリア・レージネヴァ(ソプラノ)
ジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ(2010.5録音)
・歌劇「アテナイーデ」RV 702~第3幕「不実なアルミードは私に教えてくれる」
ステファノ・フェッラーリ(テノール)
フェデリコ・マリア・サルデッリ指揮モード・アンティクォ(2007.4録音)
・歌劇「アテナイーデ」RV 702~第1幕「私の過ちとはどんな」
ヴィヴィカ・ジュノー(メゾ・ソプラノ)
フェデリコ・マリア・サルデッリ指揮モード・アンティクォ(2007.4録音)
・歌劇「狂乱のオルランド」RV Anh. 84(抜粋)
デイヴィッド・リー(カウンター・テナー)
リッカルド・ノヴァーロ(バリトン)
フェデリコ・マリア・サルデッリ指揮モード・アンティクォ(2004.6録音)
・歌劇「テウッツォーネ」RV 736~第1幕「なんと苦しい恐怖」
デルフィーヌ・ガルー(コントラルト)
パオロ・ロペス(男声ソプラノ)
ジョルディ・サバール指揮ル・コンセール・デ・ナシオン(2011.6録音)
・歌劇「ファルナーチェ」RV 711~第2幕「すべての血管で凍えるような血が」
フリオ・ザナージ(バリトン)
ジョルディ・サバール指揮ル・コンセール・デ・ナシオン(2001.10録音)
・歌劇「グリゼルダ」RV 718~第2幕「ツバメの恋人」
イェスティン・デイヴィス(カウンター・テナー)
ジャン=クリストフ・スピノジ指揮アンサンブル・マテウス(2005.11録音)
・歌劇「エジプト戦場のアルミーダ」RV 699~シンフォニア
リナルド・アレッサンドリーニ指揮コンチェルト・イタリアーノ(2009録音)

はたまた歌劇「グリセルダ」RV.718(1735)から第2幕アリア「このティラナの掟」のカウンター・テナーの官能!

標題音楽は『和声と創意の試み』の第1巻を締めくくる『海の嵐』と『喜び』においてもまだ鮮明であった。
フェルトナーニは嵐のモチーフがどれほどヴィヴァルディの音楽のなかに頻繁に現れるかを記している。つまり、『ティト・マンリオ』(「嵐のなかで」)から『別荘でのオットーネ』(「彼が恐ろしい渦と共に」)へ、『グリセルダ』(Griselda)(「もし邪悪な嵐が」)から『狂えるオルランド』(「怒り狂った黒雲が現れ」)へ、さらに『頼もしい妖精』(「樹々の葉をむしる嵐ではなく」)からまたも『グリセルダ』(「ふたつの風に煽られて」)へと現れる。

~同上書P201

さらには、歌劇「テウッツォーネ」RV.736(1719)の第1幕は短い二重唱「なんと苦しい恐怖」での共感、共鳴の悲哀!

マントヴァの職務を特徴づけるのはヴィヴァルディが2年間猛烈に、とりわけ作曲家として、仕事をしたということである。特に重要な仕事は、まさに1718年末までハプスブルク家の宮廷詩人であったアポストロ・ゼノとの共同作業である。1719年の謝肉祭には実際にゼノの台本、ヴィヴァルディの音楽で『テウッゾーネ』が上演された。注目すべきことは、「わたしに夢を見させるためにもどってくださいな」を歌ったのはジョゼッペ・マリア・オルランディーニ、つまり『当世流行劇場』での「オルランド」であった。
~同上書P146

さしずめアントニオ・ヴィヴァルディの歌劇は人間の喜怒哀楽を儚くも美しく表現した幻想のようなものだと結論づけられようか。少なくとも音楽に触れる限り僕にはそう思える。

そして、歌劇「ファルナーチェ」RV.711(1726)から第2幕「すべての血管で凍えるような血が」でのバリトン独唱の憂いに思わずため息がこぼれる。

劇場の経営—サンチュリーニの死後、全面的に彼が仕切っていた—に積極的に関わることで、「赤毛の司祭」はヴェネツィアと自分との関係が持続していることを示していた。次の謝肉祭は彼のオペラ作家としての勝利を印象づけた。サン・タンジェロで、『クネゴンダ』(Cunegonda)、『裏切られ、復讐した貞節』(La Fede tradita e vendicata)、『ファルナーチェ』(Farnace)と『テンペのドリッラ』(Dorilla in Tempe)が上演されたのである。その間にプラハで、『懲らしめられた専制政治』(Trannia castigata)がグラフェン・シュポルク劇場で上演されるべく準備されていた。「赤毛の司祭」は今やイタリア音楽劇の巨匠であり—彼のオペラの音楽は公演成功の保証であった—ヨーロッパ全体の基準であった。
~同上書P178

これほどの音楽たちが葬られてしまっていることが実に嘆かわしい。
本来はそれぞれの歌劇をきちんと正当に耳を傾け、正しく評価すべきなのだろうが、このコンピレーション盤を聴くだけでもヴィヴァルディの才能の奥深さが身に染みる。
研究者の詳細な報告をもとにした伝記に過ぎぬといえば過ぎないだろうが、300年前の応酬で活躍した天才の足取りの多少でもが垣間見えるなら、ヴィヴァルディの苦闘は賞讃と同じく前代未聞だったことがわかる。人生山あり谷あり。
「赤毛の司祭」の全知全能は、世界を動かす慈しみ溢れている。

スピノジ指揮アンサンブル・マテウスほかヴィヴァルディ「オペラ・アリア集第2巻」を聴いて思ふ スピノジ指揮アンサンブル・マテウスほかヴィヴァルディ「オペラ・アリア集第2巻」を聴いて思ふ

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