カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル シューベルト 交響曲第3番ニ長調D200ほか(1978.9録音)

ようやく僕にもカルロス・クライバーのシューベルト録音のすごさがわかってきたように思う。

もちろん第8番ロ短調「未完成」は稀代の名曲なのだが、数多ある名演奏の中でも随一であることは間違いない。しかしながら、決してメジャーとは言えない第3番こそ天才指揮者の残した数少ない正規録音の中で一際光彩を放っていると僕は今頃になって思うようになった。

モーツァルトの語法の模倣からベートーヴェン的要素を織り込んだ、優美かつ雄渾な音楽は、若きシューベルトの本懐であり、晩年の深遠な世界の萌芽がすでにある。
その音楽を、カルロス・クライバーは、例によって自筆譜と総譜を睨めっこし、同時に徹底的な稽古を通し、清新な音楽を披露した。

クライバーは1978年にウィーンへと戻り、ウィーン国立歌劇場で《カルメン》を指揮しただけでなく、楽友協会大ホールではフランツ・シューベルトの交響曲第3番、第8番にも登場した。だが、ドイツ・グラモフォンはそのあとまでクライバーを拘束することには失敗した。プロデューサー、ハンス・ヒルシュは、少なくともクライバーのレコードを1年に1枚は発売したいと考えていたが、専属契約の申し出は断られ続けていた。ヒルシュはこの申し出に対するクライバーの回答をよく覚えている。「彼はこう言ったんです。『レオ・キルヒさんは、なにも義務のない契約を提示してくれたんだ。だれかのために、何かをやるつもりはまったくないよ。あなたにもそう望みたいね』」。
アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 上」(音楽之友社)P431-432

カルロスのこの録音は決して評価の高いものではなかった。
第3番については父親の解釈を受け継いだもので、しかも自身の録音は父親のそれを超えるものではないと感じていたらしい。

そして、第8番「未完成」については、一般では「クライバーの録音としては華々しさに欠ける」と一刀両断されている。しかし、この曲にそもそも「華々しさ」を求めること自体がすでにおかしい。これほど血の通った、同時に内省的な演奏が他にあるのかどうか。

シューベルト:
・交響曲第3番ニ長調D200(1815)
・交響曲第8番ロ短調D759「未完成」(1822)
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1978.9.11-15録音)

第3番は、全曲の半分近くを要する第1楽章アダージョ・マエストーソ—アレグロ・コン・ブリオがあまりに素晴らしい。厳かな樹壮アダージョ・マエストーソもカルロス・クライバーが指揮するとどこか弾けるような愉悦を感じさせる。そして、泉のように宙から湧き上がる主部アレグロ・コン・ブリオの生命力は他の誰にも成し得ない魔法のよう(ハイドンやベートーヴェンを模範にしながらいかにもシューベルトという歌がある)。

そして、批評では速過ぎるとされた第2楽章アレグレットなどは決してそんなことを感じさせるものでなく、むしろ可憐なニュアンスを湛えた逸品だ。
続く、第3楽章メヌエットも雄渾な響きの中に軽やかな思念が動き回り、トリオにおいては音楽は内省し、心地良い静けさに満ちる。

「ザ・グレイト」の先取りたる終楽章プレストはカルロス・クライバーの独壇場!
(カルロスが「ザ・グレイト」を録音してくれていたら大変な名演奏になっていたように思われる)
こういう(いかにもエンドレスな)推進力高い、血の噴き出すような音楽を指揮させたら彼の右に出るものはいまい。

カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルのシューベルト交響曲第3番を聴いて思ふ カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルのシューベルト交響曲第3番を聴いて思ふ チベット体操、自然、「未完成」交響曲 チベット体操、自然、「未完成」交響曲

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