フィッシャー フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲から第2楽章(1939.4.25録音)ほか

70年というと随分長い年月だ。
僕がヴィルヘルム・フルトヴェングラーに感化されたのは45年前のことだから、あのときはまだ没後25年だった。それを思うと、大変化の時代にありながら芸術そのものの価値はまったく変わっていないことに驚くばかり。少なくとも僕自身の価値観や思考の質は随分変化した(フルトヴェングラーの芸術の価値は今後も変わらないと思う)。

戦時中のテレフンケン録音の荘厳かつ崇高な美しさに痺れる。

1945年4月30日、運命の日がやって来た。ヒトラーの死がナチスのラジオ放送で発表されたのだ。ヒトラー54歳の誕生日から10日後のことだった。アナウンスの後、ブルックナーの第7交響曲の緩徐楽章、《神々の黄昏》からの「ジークフリートの葬送行進曲」、その他荘厳さを特徴とする曲の録音がその後に続いて放送された。またもや皮肉なことに選ばれた曲の大半は逃亡中のフルトヴェングラーの指揮によるもので、当の指揮者は第三帝国の敵とされて今はスイスの療養所で回復しつつあった。
サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・下」(アルファベータ)P85

第三帝国において、いかにフルトヴェングラーの音楽が幹部たちを含め国民皆に愛されていたことか。総統の死のニュースが報じられた際の音楽はその証左だろう。

かなり行き当たりばったりであることが、このテレフンケンのレコードのもっとも注目すべき特徴だ。

1940年10月15日、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第13番作品130のカヴァティーナの編曲、ベルリン・フィルハーモニー、テレフンケンSK3104

フルトヴェングラーがベートーヴェンの晩年の四重奏曲からのカヴァティーナを公演するのは稀だった。とはいえ、ベートーヴェンの室内楽作品の中で最後の4つの弦楽四重奏曲にはきわめて強い影響を受けていた。
~同上書P287

即席の録音であろうが何であろうが、フルトヴェングラーの指揮するカヴァティーナのあまりの深さにあらためて言葉を失う。沈潜しつつも光明放つ透明感!弦楽合奏のためのこの編曲こそ(いまだ破竹の勢いを示していた)ドイツ第三帝国の来たるべき黄昏を憂う、まさに葬送のための予知演奏のように思えてならない。

1942年4月7日、ブルックナー交響曲第7番からアダージョ、ベルリン・フィルハーモニー、テレフンケン3230-2。

ブルックナーはむろん、フルトヴェングラーの作曲に唯一にして最大の影響を与えたが、このアダージョはフルトヴェングラーのレコードの中で重要というより、歴史的遺物のようなものとして有名になった。この曲は、1945年4月30日にヒトラーの死が報じられたとき、帝国ラジオ放送で流れたレコード2曲のうちの一つだった。もう一曲は「ジークフリートの葬送行進曲」で、これもフルトヴェングラー指揮だった。
~同上書P287

後の実況録音盤を凌駕する圧倒的アダージョは、(尊敬するワーグナーの死に際し)悲しみに打ちひしがれる作曲家の思念を見事に再現したフルトヴェングラーの至高の名演奏の一つだ。

1942年10月29日、グルック《アルチェステ》序曲、ベルリン・フィルハーモニー、テレフンケンSK3266。

《アルチェステ》序曲はなかなか興味深い曲目だ。むろんフルトヴェングラーは常にグルックの古典主義的な厳格さを崇敬して、終始グルックのものを録音していたが、なぜ戦時中にとくにこの曲目を選択したのか、その背景にある動機については推測の域を出ない。フルトヴェングラーはおそらく「真のドイツ」に対する自分自身の忠誠心がぎりぎりまで試されていることに気づいたとき、この名を冠する登場人物の揺るぎない忠誠心に共感を抱いたのであろう。
~同上書P287-288

実に興味深い、当を得た推測だ。
しかしながら、フルトヴェングラーの魂は、いずれドイツが敗北することを知っていた。というより望んでいたのだろうと思う。それゆえに「忠誠心」から彼が再生したのは、暗澹たる色調濃い「黄昏」の音楽だったのである。

・フルトヴェングラー:ピアノと管弦楽のための交響的協奏曲ロ短調から第2楽章アダージョ・ソレンネ(1939.4.25録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
・ベートーヴェン:弦楽合奏のためのカヴァティーナ(弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130から)(1940.10.15録音)
・ブルックナー:交響曲第7番ホ長調から第2楽章アダージョ(1942.4.7録音)
・グルック:歌劇「アルチェステ」序曲(1942.10.29録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

上記テレフンケン録音以上に儚くも美しいのがフルトヴェングラーの自作「ピアノと管弦楽のための交響曲協奏曲」第2楽章アダージョ・ソレンネだ(エレクトローラ録音)。
かつての記憶を、まるでその場に居合わせ聴いているかのような錯覚を覚えさせる迫真の名演奏であり、古い録音から湧き立つ慈悲の精神にやはり言葉がない。ここでのフィッシャーのピアノ独奏は何と澄んで優しいのだろう。そして、それを包み込むベルリン・フィルの伴奏は何と柔らかく、そして生の喜びに満ちているのだろう(あまりに人間的な音楽!!)。

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのブルックナー第7番アダージョ(1942.4.7録音)を聴いて思ふ

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