ビートルズは終わった。でも、ジョンとポールとジョージとリンゴは・・・この先どういう関係になるかは神のみぞ知る、だ。僕にはわからない。僕は今でもアイツらを愛してるよ!アイツらが僕の人生のあの部分を占めていたってことは、永遠に変わらないんだからね。
(1980年)
~The Beatles アンソロジー(リットーミュージック)P353
最晩年のジョンの言葉である。
形あるものはいつか消滅するが、心、そして魂は永遠であることを彼は語っている。
もちろん彼らの楽曲も形ない分永遠不滅だろう(楽譜は無くなったとしても)。
オノ・ヨーコが語る、名曲“Happy Christmas (War Is Over)”にまつわるエピソードが面白い。
モーニング・コーヒーの最後の一杯を飲み終えるまでに、曲はできあがっていました。おかげでジョンは少し機嫌がよくなりました。「この曲は『ホワイト・クリスマス』よりも有名になるよ、絶対に」と言って、ジョンはふたたび鼻を動かしました。今度は満足感からでした。そのとき電話が鳴り、ジョンが受話器をとりました。ジョンは「ああ・・・うん・・・ああ」とだけ答えていました。ジョンが少しずつ腹を立ててきているのがわかりました。しまいにはひとこともしゃべらずに電話を切ってしまいました。「何の電話だったの?」「ああ、ジョージからだった」。しばらく沈黙が流れました。「バングラデシュ難民のためのコンサートに出てくれとか何とか、そんなことを言ってきたんだ。ディランも来るんだとさ。僕は行かないよ」「あら、どうして? 私たちは出たほうがいいと思うわ。チャリティよ。ちゃんとした目的を持ったコンサートじゃない」と私は言いました。「行かないよ」「どうして?」「ジョージの道楽につきあう必要はない。こっちはこっちでやればいい。君と僕で」「出るべきよ」と私は言いました。「ジョージのコンサートだからって何なのよ。別にかまわないじゃないの」。ジョンの怒りはしだいに強くなってきました。私もだんだん頭に血がのぼってきました。私には、ジョンが意地をはっているようにしか思えませんでした。「わかったわ。あなたが出たくないのなら、私が出る。ひとりでやるわ」と私は言いました。ジョンはついに怒りを爆発させました。
(オノ・ヨーコ、1998年ニューヨーク・シティにて)
~TOCP・65002-05ライナーノーツP14-15
言葉につい引っ掛かってしまうのが人の常。
相手を真に理解するには、心の眼でいかに相手を見ることが尽きる。
ジョンの真意は一体何だったのか?
いろいろなことがあったおかげで、ジョンも私も、あの朝ホテルの部屋で作ったクリスマス・ソングのことをすっかり忘れていました。11月に入ってジョンはこの曲の存在を思い出し、マネージャーに電話をかけてクリスマスのシングルとしてリリースしたいと言いました。「ジョン、もう遅すぎるよ。ジャケットも印刷しなきゃならないし、プロモーションも・・・」「いいから、やってみてよ」。そしてシングルはリリースされましたが、マネージャーの言うとおりなにもかも遅すぎて、まったくヒットしませんでした。「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」がヒットを記録したのは、1980年にジョンがこの世を去ったあとのことでした。
実は、「あの朝のできごと」には意外な話が隠されていました。私はずっと、ずっとあとになってから聞いたのですが、あのときジョージはジョンに、バングラデシュのコンサートにジョンひとりで、つまり私抜きで出演するよう頼んだというのです。ジョンが出たくないと言いはったほんとうの理由はそこにあったのでしょうか。そんな気もしますが、今となっては真実を知る手だてはまったくありません。
~同上P18
ジョンの真意は間違いなくそこにあったのだと思う。
ジョンの優しさ、慈しみを表す素敵なエピソードだ。
(心を通わせる、真我良心で物事を見ることが大切だ)
ジョン・レノン・アンソロジーからの1枚は”New York City”。
整形される前の、赤裸々な、ありのままのジョンの歌が聴ける。
・John Lennon Anthology disc 2 New York City (1998)
“Happy Xmas”のラフ・ミックス。
ジョンがリンゴに贈った”I’m the Greatest”。
同じくリンゴに贈った”Goodnight Vienna”。
どれもが仲間内の開放的な様子の中での録音だが、リンゴのバージョンとは印象が異なり、哀しい歓びに溢れる。
“Real Love”のデモ・テープでのピアノ弾き語りが(黄泉の国からのジョンの歌声のようで)また美しい。
John Lennon Anthology disc 1 Ascot (1998)