フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィル チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調作品36ほか(1951.1録音)

ひとは芸術作品に没頭せねばならぬ。すなわち作品とは閉ざされた世界、谷依存世界なのである。この没頭は愛と呼ばれる。愛とは評価すること、つまり比較することの逆である。それは無比無類のものを観取する。開かれた世界、つまり評価する知性の世界は、すぐれた芸術作品の価値を決して正しく把握しえない。
(1937年)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P20

今やフルトヴェングラーの演奏する姿を簡単に動画で観ることができるが、その姿はまさに没我であり、音楽に奉仕する、文字通り愛を捧げる姿勢だと思われる。

戦前の、特に1930年代の、古い録音から薫るエロティックな響きは、フルトヴェングラーの愛そのものなのだろう。
チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」。

フルトヴェングラー指揮ロンドン・フィル ブラームス 交響曲第2番(1948.3録音)ほか

生粋の知性的な進歩理念による脅威は、今日にはじまったものではない。19世紀末のすぐれた作曲家たちはだれしもこのことを知っていた。ヴェルディにおける休止の13年間、スメタナやその他の人々に見られる長期の準備、チャイコフスキーにおける良心の呵責。
(1945年)
~同上書P35

チャイコフスキーの悲愴な、哀惜の旋律は良心の呵責だったのか。
なるほど、そう言われればそのように思えてくる。
そういうことがわかっていたからこそフルトヴェングラーの、残された僅かなチャイコフスキー作品が哀切の美しさに溢れるのだとわかった。

戦後になってのチャイコフスキー録音は、また別の意味でエロティックだ。
そこには実に冷静で端正なフルトヴェングラーがあった。

・シューベルト:劇付随音楽「ロザムンデ」序曲(1951.1.3-17録音)
・チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36(1951.1.4-10録音)
・ケルビーニ:歌劇「アナクレオン」序曲(1951.1.11録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

第1楽章アンダンテ・ソステヌート主題の抑制された浪漫。
物足りなさどころか、当時のウィーン・フィルの圧倒的な美しさが音楽をけん引する(とにかく煩くない)。
そして、第2楽章アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナの文字通り「歌」の素晴らしさ。そう、フルトヴェングラーらしい没頭の中で音楽が淡々と、しかし重厚に歌われる。弦楽器と金管群の対話の美しさ!
また、(主部が)終始ピッツィカートで奏される、お道化た第3楽章スケルツォも、フルトヴェングラーの手にかかれば真面目かつ巨大な音楽と化す。中間部の溌剌とした木管群と金管群のやりとりは「くるみ割り人形」を髣髴とさせる。
最高なるは終楽章アレグロ・コン・フォーコの爆発的解放!

それに比べると、他の国々には何があるというのでしょう? ヴェルディ、チャイコフスキー、ベルリオーズ、ドビュッシーら偉大な作曲家はありますが、いずれも決定的にドイツ音楽の影響を受けた人たちです。皮肉屋のストラヴィンスキーをこれに加えてもいいかも知れません。水準と音楽の完成度からいってドイツの巨匠たちと並ぶべき地位を私が認める作曲家は、ただショパンあるのみです。
(1954年2月15日付、クルト・リース宛)
フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P292

ドイツ音楽を第一とするフルトヴェングラーのチャイコフスキーは、いかにも重く、暗いが、第4交響曲の持つパッションがこれほどまでにバランス良く表現されるのは奇蹟的。第5番の正規録音が残されなかったことが残念でならない。

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