「愛」のスイッチ

今日は第9回「早わかり古典音楽講座~ワーグナー:愛による救済」だった。報告は後日に譲るとして、まずは反省点。合計14時間にも及ぶ楽劇の全貌を3時間でまとめて話そうとしたこと自体が少々無理あり。しかも、オペラそのものを題材にするのか、ワーグナーの思想をテーマにするのかにより内容が当然違ってくるはずなのだが、その辺を一緒くたにしてしまったものだから正直視点がぼやけてしまったところが一番の問題だったか・・・。

とはいえ、今日の本題は、実は終了後の井戸端会議的なところからスタートしたようなものだった。残ったのは僕を含めて5名。ある人から「愛による救済」というところに関する質問があった。ワーグナーの場合、楽劇「トリスタンとイゾルデ」然り、楽劇「ニーベルングの指環」も然り、舞台神聖祝典劇「パルジファル」も然り、全て「究極の愛」が通奏低音になっている。ワーグナーは、一生かけて「女性の愛による救済」をテーマに楽劇を書き続けた。「女性の愛」が「男性を救う」のだ。マティルデ・ヴェーデンドンクとの不倫愛もそう、最後の妻コージマの愛もそう。女性の愛により自分自身は救われているのだとワーグナーは確信していたのだろう(男の勝手な妄想でもあり解釈でもあるのだが・・・)。

そして、話はどんどん深みにはまってゆく・・・

人間は誰もが一体化を求めている。というよりもともと地球、宇宙は「一つ」だったのである。もしも、この世を「影」とし、あの世を「真実」とするなら、つまり「生」と「死」を逆転して考えるのなら、人間は何ゆえ今生きているのだろうか?神は「魂」に修行をさせる意味で、この世において「身体」を与えた。「身体」があるゆえ、窮屈だし、寝たり食べたりしなければならないゆえ「三大欲求=我(エゴ)」を与えた。人間の歴史はとどのつまりこの「我」との闘いだ。

どんな組織においても「人が人のことを」心から考えられる人だけの集まりであったら問題は発生しない。それが平和なのだ。しかし、誰もが「我(エゴ)」をもっているゆえ、一人でも自己中心的な考えに至る人がいれば、その組織は途端に崩壊し始める。
「人のことを本当に想える」とはどういうことか?
すなわち、それが「一つ」であるという認識である。宇宙も、地球も、日本も、隣にいる人も、まだ知らない人も、動物も植物も、身の周りに存在するものは全て「ひとつ」だと意識でき、自愛し、寵愛できるのであれば、それは永遠不滅の「愛」であり、その「永遠不滅の愛」が神からもともと人間に与えられた素敵な贈り物なのである。

John Lennon:Plastic Ono Band(邦題:ジョンの魂)

「Mother」。ジョン・レノンが書いた「愛」の音楽。一般的には、ジョンの代表作は「Imagine」である。確かに「宇宙は一つだ」ということを歌っている。しかし、それは綺麗ごとにも聴こえる。綺麗ごとでない真性のジョンの魂の叫びがこの歌には記録されている。

お母さん、行かないで!
お父さん、帰ってきて!

これほど悲痛な「愛」の叫びがあるだろうか?「愛」とは「哀」であり、「遇い」であり、「相」である。

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