自身の家庭のなかを描くいわば私小説的交響曲。
1904年3月21日のカーネギーホールでの初演は大成功だったそうだ。
ヨーロッパでの初演は、04年6月1日にフランクフルトで行なわれた。父フランツは分厚いオーケストレーションを批判し、「こんな騒音は家庭では許されない」と書いた。ロマン・ロランは05年のアルザス音楽祭で『家庭交響曲』を聴き、ヴァーグナー以後の交響曲における絶頂と評した。だが「夜」の部分には厳粛さと夢と感動的な何か、そして非常に悪趣味なものがある、と日記に記している。彼はシュトラウスに、パリで演奏する場合はプログラマ発表しないよう忠告した。「このプラグラムは何の役に立ちますか。作品を矮小化し、幼稚化するだけではありませんか」
~田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P154
ロマン・ロランはこの交響曲を純粋な絶対音楽と見た。
確かに標題やプログラムを意識しない方が、この音楽の神髄をよく捉えることができるように思う。盟友クレメンス・クラウスの録音は、その点を一層強調するかのように終始美しく、そして確信を持った演奏だ。
ウィーンは楽友協会大ホールでの録音。
古き良きウィーンの典雅な薫り漂う再生はクラウスの真骨頂。何よりウィーン・フィルとの阿吽の呼吸がものをいう。中でも室内楽的響きをもつ「町人貴族」ではその特徴が一層出ており、何と素晴らしいことか。
例えば、ジャン・バティスト・リュリの音楽にシュトラウス流の編曲を施したメヌエットや「クレオントの登場」の音楽の喜びは、クラウスの愉悦と同期するようだ。
そしてまた、終曲「晩餐(食卓の音楽と料理人の踊り)」が実に明朗で楽しい。
ちなみに、モリエールの「町人貴族」を土台にホーフマンスタールがドイツ語版改作、かつ劇中劇として「ナクソス島のアリアドネ」を上演するという5時間に及ぶ初演は、なかなか一般には受け入れ難かったらしい。
まったく月並みな言い方だが、芝居を観に来る観客はオペラを聴きたいわけではなく、オペラを聴きに来る観客は芝居を観たいわけではない。この両者の魅力的な雌雄合体に対して、人は文化的理解を示さなかった。
~同上書P193
シュトラウス本人の言葉は希望と現実のギャップを物語っている。
大衆に受け入れられてこその芸術の面白さ。
そのギャップを埋めるべく「ナクソス島のアリアドネ」は独立して舞台にかけられ、「町人貴族」の方は管弦楽組曲版が作られることになった。