サラステ指揮ケルンWDR響 ベートーヴェン 大フーガ変ロ長調作品133(2019.7.5Live)

1981年、フルトヴェングラーの戦後ベルリン・フィルとのライヴ録音を聴いたのが最初の体験だった。
17歳の僕には到底理解できなかった。
1997年8月、ザルツブルク音楽祭でハーゲン・クァルテットによる演奏を聴いた。
そのときも、やっぱりよくわからなかった。
しかし、その実演体験がきっかけで繰り返し聴くようになり、いつぞや突然腑に落ちた。
最晩年のベートーヴェンの、フーガ研究の成果。

ユッカ=ペッカ・サラステのケルンWDR響のさよなら公演の記録。
素晴らしいと思った。
こういう音楽はある程度年齢を重ね、音楽を聴き込んできた者だけに許されるものなのかもしれないと思った。

この一事をもってしてもわかるように、日本語は英語にくらべると、戦争や戦闘にかんする言葉はまことに貧弱。つまり、日本人はもともと穏やかな、平和的な、戦争なんて嫌いな民族であったといえるのではないか。
8月になると、8月15日の日本敗戦の悲しみの日がやってくる。降伏を告げる天皇の涙をおさえたラジオの声がよみがえってくる。
ところで、この「降伏」という言葉は、これを国際人道法に照らして厳密にいうと、「降伏=surrender」とは、敵の武力に屈服した軍隊が無条件でその部隊ならびに武器をすべて敵に引き渡し、敵にたいする抵抗を戦場において放棄することを意味している。正確には軍隊が「敵の権力内に陥る」あるいは「投降する」、あるいは「捕獲される」ことなんである。
国家が敗北し戦争を終わらせる場合には、正しくは「休戦=armistice」「停戦=ceasefire」なんで、日本人がそれを「降伏」といっているのは大間違いである、とつい先日、えらい言語学者から叱られた。
ヘェーと感服したものの、でも、思いましたね。あの昭和20年(1945)8月の満目蕭条たる焼野原になって、列日を浴びながら天皇放送を聞いたとき、中学3年生のわたくしには、これが休戦とも停戦とも思えず、ああ、わが祖国は敗けたんだ、降伏したんだ、としみじみと悲しく情けなくなった。それが実感でしたけれどもね、と。

(2013年9月)
半藤一利「歴史探偵 忘れ残りの記」(文春新書)P21-22

日本人は本来慈しみ溢れる民族だろうと思う。
だからこそ日本人は同じく慈しみ満ちる楽聖ベートーヴェンの音楽を好むのだ。

一つの音も無駄にしない清廉なるサラステの解釈に、深遠なる哲学的世界を思う。
確かに作曲当時のベートーヴェンは完全に聴覚を失っており、まさに心の耳でものを見、心の目で音を聴いていたのだろう。
19世紀にはまったく理解されなかった作品が20世紀に入って徐々に理解されるに及ぶと、21世紀の今やベートーヴェンの最高傑作の一つといっても過言でないほどステージにかけられる機会は増えた。永遠の名作がいよいよ気軽に(?)僕たちの耳の届くことになった。

もとは弦楽四重奏曲の終楽章だったものが弦楽合奏版で演奏されることでより巨大さを増し、かつ一層繊細になり、ポピュラーに(?)なった。喜びの発露が体現されるようになったのではないかと僕には思われる。それは、あえて大きなフーガという形式を通して命が永遠であることを訴えようとしたベートーヴェンの(肉体的苦悩を超えた)霊性の勝利であり、同時にフェアウェル・コンサートで採り上げたサラステの、これは人類の未来への希望であったように思う。

ブッシュ弦楽四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番作品130(1941.6録音)ほか ラサール弦楽四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番作品130(1972.12&76.12録音) アルバン・ベルク四重奏団 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番作品130(1982.6録音) スメタナ四重奏団 ベートーヴェン 四重奏曲第13番作品130(1965.9-10録音)を聴いて思ふ ハンガリー弦楽四重奏団 ベートーヴェン 四重奏曲第12番作品127(1953.9.7録音)ほかを聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ベートーヴェン第5番(1947.5.27Live)ほかを聴いて思ふ 東京クヮルテットのベートーヴェン作品130&作品133(2008.8-9録音)を聴いて思ふ 東京クヮルテットのベートーヴェン作品130&作品133(2008.8-9録音)を聴いて思ふ 内側が「透けて見える」アンセルメのベートーヴェン 内側が「透けて見える」アンセルメのベートーヴェン

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