
フルトヴェングラーの作曲した交響作品は、冗長で魅力に乏しく、お世辞にも名曲だと言い難いものがほとんどだが、例えば幾種も録音が残される交響曲第2番ホ短調などは、戦争末期の時期に創作されたものであること、あるいは、当時、最愛の母を亡くしたことなど、フルトヴェングラーの心底に潜む悲哀や不安や、そういうものが確実に投影されたもので、なるほど、終始暗い雰囲気に支配されるのは、そういう理由もあるのだろうと思う。

死の予感。
たった今、ハイデルベルクの妹からの手紙で、母の亡くなったことを知りました。葬儀ももうすんで、11月9日だったそうです。ぼくはなにも知らずに、12日に、男の子誕生を知らせる電報を母あてに打ったのでした。母の死を知らせたメーリットの電報は、今日になってもまだ着いていません。とにかくずいぶん前から覚悟はしていましたし、最近はとみに弱っておられましたから、母自身にとっては救いであったかも知れませんが、ぼくにとってはかけがえのない喪失なのです。母の死んだことで、ぼくの人生のある部分は完全に閉ざされてしまうのです。あのすばらしく楽しかった少年の日や、その他多くのことどもが。ぼくにとってことに辛いのは、最近めったに手紙を書かなかったことです。ちょうどメーリットの手紙がきた日に、ぼくらの子供のことなど含めて、長い詳しい便りを書くつもりだったのです。
(1944年11月14日付、妻エリーザベト・フルトヴェングラー宛)
~フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P130
初めがあれば終わりがあるのは、この世の摂理。
しかし、それはあくまで仮の世界の中でのこと。
本性を知り、本性を認め、本性を見ることができたなら、終わりは真の終わりではないことがよくわかる。だから絶望することはないのだ。
「気」よりも「理」を優先せよといわれる。
もし、フルトヴェングラーが真に「理」というものをとらえることができていたなら、作曲家としても名声高い音楽家になっていたことだろう。彼の芸術は、指揮は、あくまで「気」を揺さぶるものであり、喜劇より悲劇に似合う、どこまでも「負」を背負った芸術なのだ。
しかしながら、少なくとも終楽章に至って、ようやく僕は希望の光を見出せる。
闇の中に差す一条の光は、すべてに幸せをもたらす大きなきっかけだ。
スタジオでのフルトヴェングラーの芸術は、巨匠が冷静な分、興味深いことに「気」よりも幾分「理」に寄る傾向が強い。(だからといって彼が「理」を修めたことにはならないのだが)
・フルトヴェングラー:交響曲第2番ホ短調(1944-45)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1951.11.22-12.4録音)
ベルリンはイエス・キリスト教会でのセッション録音。
第1楽章(アッサイ・モデラート)(24:34)
第2楽章(アンダンテ・センプリーチェ)(12:42)
第3楽章(ウン・ポコ・モデラート)(16:21)
終楽章(ゆっくりと—徐々に前へ—アレグロ・モルト)(28:44)
個人的には長い、長い終楽章が素晴らしいと思う。
ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは晩年、音楽家として世界に訴えかけるという真の使命を喪失してしまったように感じていた。彼が少し苦々しいユーモアを交えて語ったところによると、指揮者としての不運が作曲家としての沈黙をもたらしてしまったのだという。ピアノ協奏曲と2つの交響曲、これらの作品は、彼が若い頃から始めた作曲活動の主要作品であり、そこにはベートーヴェンからブラームス、そしてブルックナーに至る19世紀の交響曲の要約が示されている。これらは、その巨大な規模、深い内面の焦燥と混乱、そしてまた鎮静する力という点から(ヴァルター・リーツラーが言うように)偉大な時代への最後の証言のようなものだ。
フルトヴェングラーは自身の使命としての作曲活動を生活の中心にしようと考えていた。
しかし、彼の寿命はそれを許さなかった。
もちろんこの録音の時点で自身の寿命などは当然知らない。
心なしかこの終楽章にはやっぱり焦燥の念が見事に記録されていることが興味深い。


