フラグスタート フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー 「ブリュンヒルデの自己犠牲」(1952.6.23録音)ほか

現代世界から魔性を消去し、あたかもモーツァルトやバッハだけが存在するかのような顔をしてみたところで、現代世界にはなんらの益をももたらさない。ベートーヴェンやヴァーグナーは魔の深淵を開きながらも、統一をもたらす調和によって同時にまたそれを克服した。
(1945年)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P30

フルトヴェングラーの優れた洞察よ。
ワーグナー作品の内なる魔性は、いわゆる法術的なものではないと僕は信じたい。ワーグナーの中にある、ベートーヴェンと共通の陰陽相対の意識は、ひょっとするとベートーヴェン以上に「現実的」だったのかもしれない。世界がリアルに変転する中で、ワーグナーも神への、否、自然への帰依者だった。

私たちは包括的な国家経済の面では、一喜一憂しながら最終的には息の根をとめられるような夢に囚われている。誰もが夢から醒めようと焦っている。しかし夢の特異な点は、私たちがそれに囚われている間はそれを現実の生活と見なし、それから目覚めることに対して死に対する場合のように抗うことにある。最後に訪れた止めの一撃のような驚愕が、やがてこの途轍もない極度の不安に責め苛まれた者に必要な力を与え、その結果彼は目覚める。彼がこのうえなく現実的と見なしていたことは、苦悩する人類のデーモンが織りなした幻影であった。
(「汝自身を知れ」—『宗教と芸術』のための補足その2)宇野道義訳
三光長治監修「ワーグナー著作集5 宗教と芸術」(第三文明社)P311

ワーグナーの深層には、おそらくベートーヴェンが弟宛「遺書」に書いた「徳を薦めよ」という共通の信念があるようだ。それこそ彼らの音楽に「調和」をもたらすスイッチであるように思う。

40年前、フルトヴェングラーの振るワーグナーに出逢った。僕は即心酔した。
中でも、フラグスタートを独唱に据えた「ブリュンヒルデの自己犠牲」。そこにあったのは、まさに魔の深淵と、調和によるそこからの脱却、あるいは解放だった。

ワーグナー:
・楽劇「神々の黄昏」~ジークフリートのラインへの旅
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1949.2.23録音)
・舞台神聖祝典劇「パルジファル」~(1938.3.15録音)
―第1幕への前奏曲
―聖金曜日の不思議
・楽劇「トリスタンとイゾルデ」~(1938.2.11録音)
―第1幕への前奏曲
―イゾルデの愛の死
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
・楽劇「神々の黄昏」~
―ブリュンヒルデの自己犠牲
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.6.23録音)

瞑想するフルトヴェングラーの魔法。虚飾を排した「パルジファル」からの2曲は絶品。録音から82年を経過し、それでも内なる神性は色褪せない。一方、内なるエロスの発露たる「トリスタン」前奏曲と愛の死の魔性。ヨーロッパが破綻の戦争に向かう最中の、現実と夢の相克をこれほどリアルに表現したケースが他にあったかどうか。

そして、フラグスタートの歌うブリュンヒルデの(刷り込みなのかどうなのか)相変わらずの神々しさ。同時に、「魔の深淵を開きながらも、統一をもたらす調和によって同時にまたそれを克服した」という言葉の具現化のようなフルトヴェングラーの解釈にまずは拍手を送りたい。何より管弦楽だけによる後奏のあまりの美しさと官能に僕は打ちのめされる。

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