
アメリカ大陸のドヴォルザーク。
コンスタンティン・シルヴェストリの「新世界」交響曲を聴いて、度肝を抜かれる思いがした。何と劇的で激しい音楽なのだろう。この、人口に膾炙した、有名すぎる音楽が何と新鮮に響くことだろう。
友人のルスに宛てた1893年4月14日付の手紙のなかでドヴォルジャークは、「今ちょうどホ短調の新しい交響曲を書き上げたところである。私にとってそれは大きな喜びであり、とてもうれしく思う。この作品は以前のものとは大きく異なり、わずかにアメリカ風である」と述べているように、この曲もモティーフ形式についてはアメリカの要素とチェコの要素がどのようにかかわっているのかという議論が残される。たとえば第2楽章のラルゴはロングフェローの詩「ハイアワサ(Hiawatha)の歌」のなかの「森の葬式」に、第3楽章のスケルツォは「インディアンの踊りの儀式」に霊感を受けたものであり、また他の部分では作曲家自身による故郷ボヘミアへの憧れに満ちた思い出によって霊感を受けたとされるほか、第2楽章の主要主題はフォスターの《故郷の人々(Old Folks at Home》(1851)や、あるいは黒人霊歌のひとつ《深い河(Deep River)》のモティーフを連想させるものだという指摘がある。
~内藤久子「作曲家◎人と作品 ドヴォルジャーク」(音楽之友社)P132
人は環境の影響を自ずと受けるもの。
世界は音で成り立っていて、意識せずともあらゆる音が人間の知性に、感性にインスピレーションをもたらすのだと思う。
(ポピュラー音楽の世界でも無意識のうっかり盗作問題は引きを切らないが)
衝撃のアメリカ体験!
いっぽうで、1907年5月の『プルゼニュ新聞』に掲載された記事のなかで、ドヴォルジャークは次のようにも述べている。すなわち「私は最後のシンフォニーのためにアメリカでモティーフを集めた。そのなかにはインディアンの歌も含まれている。だが真実は伝えられていない。・・・これらのモティーフは私個人のものであり、若干のものを私はすでに携えている。それはチェコの音楽である・・・」と。
~同上書P132-133
同時に、幼少から脳内に刷り込まれた故郷の音。
それらが見事に融和し、渾身の交響曲が生み出され、屈指の名曲になるという奇蹟。
泣く子も黙る凄演とはこのことか!
12年前、紹介いただいたとき思わずぶっ飛んだ記憶があるが、久しぶりに耳にしてやっぱりのけ反った。
シルヴェストリの徹底的なリハーサルは奏者に刺激を与えたものの、一方で反発を招くことにもなった。従来の拍子を刻む方法ではなく、フレージングや音楽の性格を、ジェスチャーなどを多用して表現したため奏者の中にはそのスタイルを理解し難いと感じる者もいたからだ。とはいえ、創造された音楽は何にせよ格別だった。
