ベートーヴェン四重奏団 ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第4番(1961録音)ほか

ドストエフスキーには過酷な眼で人間性の本性を凝視する一方、感傷的夢想家の一面がある。

何と的を射た表現だろうか。

自然が春の訪れとともにとつぜんその威力を、天から授けられたその力を残りなく発揮し、芽をふき、葉をひろげ、さまざまな花でその身をよそおうとき、わがペテルブルクの自然にはなにか言葉には現わしがたい、胸を打つものがある・・・。思わず知らず自然は私にこんな少女を思いださせる。病弱でやつれはてた娘、諸君は時には憐みの眼で、時には同情的な愛情をいだいて彼女をながめ、また時には彼女の存在にぜんぜん気がつかないこともあるが、その娘がとつぜん、一瞬のうちに、どうした加減か思いもかけぬすばらしい、言葉に現わすことのできぬ美女に変貌する。
ドストエフスキー/小沼文彦訳「白夜」(角川文庫)P12

ペテルブルク在住の、貧乏なインテリ青年に、淡い恋心が生まれた瞬間のいかにもドストエフスキーらしい情緒的な描写に何だか心が動く。確かに彼の小説のベースには、暗澹たる冬の情景が根を下ろす。それぞ人間の背負った業であるのだといわんばかりの冬がある。しかし、その冬にも光がある。一条の光が暗黒を照らした時の明らかな希望は、人間のもつ本来の生命力を刺激する。

僕は、ショスタコーヴィチにも、懐疑的な感傷的夢想家の一面を発見するが、同時に彼にもドストエフスキー同様の過酷な眼で人間性の本性を凝視する癖が大いにあったのだろうと想像する。時はスターリン体制下。すべてを正直に表現することは無理だったにせよ、作品の随所には凍てついた冬の心理と、そこから解放されんともがく諧謔と、さらには魂がわかっていたであろう未来への希望が垣間見える。

ショスタコーヴィチ:
・弦楽四重奏曲第3番ヘ長調作品73(1946)(1965録音)
・弦楽四重奏曲第4番ニ長調作品83(1949)(1961録音)
ベートーヴェン四重奏団
ドミトリー・ツィガノフ(ヴァイオリン)
ワシリー・シリンスキー(ヴァイオリン)
ワディム・ボリソフスキー(ヴィオラ)
セルゲイ・シリンスキー(チェロ)

戦後の、窮屈な体制の中で、上層部を意識しながらも感傷的な音調が美しい第4番ニ長調第2楽章アンダンティーノの優しさ。また、第3楽章アレグレットの静かな躍動。そして、終楽章アレグレットのいかにもショスタコーヴィチという哀しくもお道化た印象が素晴らしい。
作曲から数年を経て、スターリン没後にようやく初演を任されたベートーヴェン四重奏団による録音は、確かにこれ以上に優れた演奏は今やいくらでもあるけれど、資料的価値が大きく、同時にソビエト連邦という今はなき大国の社会主義的イデオロギーの匂いが芬々として実に興味深い。

ジダーノフ批判からスターリンが死ぬまで、ショスタコーヴィチが作曲した多くの作品は初演されなかった。結果として、公表された作品と「抽斗にしまわれた」作品は、音楽語法の点で著しいコントラストをなすことになった。これは二重思考ないしは二重言語と呼ばれることがある。作曲直後に公的に発表することを前提とした作品と、公表できなくてもやむを得ないと考えて作曲する作品とを書き分けたと考えられるからである。
梅津紀雄著ユーラシア・ブックレットMo.91「ショスタコーヴィチ 揺れる作曲家像と作品解釈」(東洋書店)P31

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