フラグスタート フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」第3幕から「ブリュンヒルデの自己犠牲」(1948.3.26録音)ほか

わずか4年の差とはいえ、歌手の技術の衰えから生じる差が出るのは致し方なし。
1948年の「ブリュンヒルデの自己犠牲」は、1952年のそれと比較し明らかに声に張りと伸びがある。一方、フルトヴェングラーの指揮は老練の棒ということもあり、1952年録音の方が円熟味を増しており(基本の解釈はまったく変化ないが)、愛好家としては両方を備えておきたいところだ。

フラグスタート フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー 楽劇「神々の黄昏」から「ブリュンヒルデの自己犠牲」(1952.6.23録音)

キルステン・フラグスタートの真実。
彼女がいたって「普通の人」だったことがわかるエピソードがある。

歌唱については、私と同じ道を歩もうとしている人たちに役に立つことを話すことはできないと思う。なぜなら、歌唱というものを方法論や科学として理解しようとしたことがただの一度もないからだ。私は、楽屋で何度も心ゆくまであくびをして声を完全にリラックスさせているということを以前にBBC放送でしゃべったことがある。私のイゾルデやブリュンヒルデをほめたたえてくれる多くの人たちにとってはたいへんなショックだったと思う。というのも、『トリスタンとイゾルデ』の第3幕の大詰めで、登場する合図を舞台裏で待っている間、私が一人でトランプ遊びに興じていることを知って幻滅した人たちがいたからだ。そのようなことは、私にとっては取るに足らない平凡な事実である。
ルイ・ビアンコリ/田村哲雄訳「キルステン・フラグスタート自伝 ヴァグナーの女王」(新評論)P407

否、それだから彼女は「普通ではなかった」とも言えるかもしれない。
一方、オペラ歌手としての彼女の演技はどうだったのか?

演技のことで手短に言っておきたいことがある。メトロポリタン歌劇場にデビューしたころ、私は何人かの批評家から「演技をほとんどしていない」と言われたことがある。しかしそれは、最初のシーズンの間だけで、それ以降、彼らは自説を完全に覆した。彼らは、私の必要最小限の演技を評して「無駄のない動きだ」と言い、さらに「ほかの人たちも私からそれを学ぶとよい」とまで言った。そのとき、私は天にも昇る心地だった。
~同上書P409

やはり持って生れた才能あっての歌手だったのだ。こういう人を真の意味で「天才」というのかもしれない。

フラグスタートのワーグナーは別格だ。
その歌唱を聴いていると、演技までもが見えてくるのだから興味深い。

ワーグナー:
・楽劇「ジークフリート」第3幕から「太陽に祝福を!」(1951.6.12&13録音)
・楽劇「神々の黄昏」序幕から「いとしい勇士よ!あなたを愛してはいても」(1951.6.14録音)
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
セット・スヴァンホルム(テノール)
ジョルジュ・セバスティアン指揮フィルハーモニア管弦楽団
・楽劇「神々の黄昏」第2幕から「晴れやかな武具よ!聖なる武器よ!」(1951.4.29録音)
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
セット・スヴァンホルム(テノール)
ヘルマン・ヴァイゲルト指揮フィルハーモニア管弦楽団
・楽劇「神々の黄昏」第3幕「ブリュンヒルデの自己犠牲」(1948.3.26録音)
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

フィルハーモニア管をバックにフラグスタートがワーグナーを歌う。
すべてがウォルター・レッグのプロデュースによるものだが、贔屓目は別にしても、これだけ指揮者の力量、というか才能の違いが如実に刻印されているのを比較視聴できるのは実に興味深く、フラグスタートとフルトヴェングラーの組み合わせがいかに一世一代のパフォーマンスであったかがわかって面白い(ワーグナーの楽劇は管弦楽部がどれだけ重要であることか)。

ただし、セバスティアンもヴァイゲルトも凡演だというわけでは決してない。
あくまでフルトヴェングラーの魔性と比較して(あるいはフラグスタートとの相性、シナジー)という意味合いにおいてというわけだ(私見だけれど)。

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの「トリスタン」前奏曲と愛の死(1938録音)ほかを聴いて思ふ フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの「トリスタン」前奏曲と愛の死(1938録音)ほかを聴いて思ふ ワーグナーの「力」 ワーグナーの「力」

6 COMMENTS

タカオカタクヤ

このジョルジュ・セバスティアンというお方、フランス名前を名乗っておいでですが、実はハンガリー人ではなかったでしょうか。モノーラル時代のDeccaに、トマのオペラ《ミニョン》を録音なさっていて、CBSにデ・アルメイダ指揮の新録音が現れるまで、貴重なディスクだったと伺っております。 
フラグスタートの《自己犠牲》、1952年の録音しか、私は持っておりません。1948年盤は東芝音工からCE28‐5590の番号で出ていたのは、存じておりましたけれど…。けど、この《神々の黄昏》は何ぶんにも長尺物ですので、この大詰めの場面だけを収録して下さった、フラグスタート、フルトヴェングラー、フィルハーモニア管弦楽団、ウォルター・レッグの四者の皆様に、深謝の念を捧げたく存じます。

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岡本 浩和

>タカオカタクヤ様
確かにハンガリー人ですね。
この人のことはよく知らないのでトマのオペラに関することも初めて知りました。

フラグスタートのブリュンヒルデはやっぱり随一だと思います。
おっしゃるように「自己犠牲」だけでも録音していただけた四者には感謝ですね。
ちなみに、ロンドンがクナ指揮ウィーン・フィルと録音した「ヴォータンの告別」も「ワルキューレ」大詰めの超絶名演奏だと思います。

ところで、CE28‐5590を調べると、80年代の末にリリースされたフルトヴェングラーのシリーズのブルックナー8番&「自己犠牲」(52年)の2枚組のようですが、記憶違いではないでしょうか?

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タカオカタクヤ

確かに、1949年3月14日にBPOを振り、聴衆無し放送用音源のブルックナー《第8》のフィルアップ的に、C28‐5589〜90で発売されていたようです。ただ、ある資料によりますと、この《自己犠牲》は1948年盤を収めて居ながら、データ表記は1952年と誤記されてしまっていたとか。
人気アーティストの頻繁に再発される音源は、発売する側の皆様も混乱される事も、しばしばですね。私めも上記の番号、CE28‐をC28とミスってしまいましたのを、お詫び申し上げます。

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岡本 浩和

>タカオカタクヤ様

>ある資料によりますと、この《自己犠牲》は1948年盤を収めて居ながら、データ表記は1952年と誤記されてしまっていたとか。

あー、そうでしたか!!
ヒストリカル録音あるあるですね!
勉強になりました。
90年前後にリリースされたEMIのフルトヴェングラーの国内盤シリーズについては当時すべてを購入したわけではないので、ブルックナー8番と「自己犠牲」のセットは所持しておらず、未確認でした!
こちらこそ勉強になりました。
ありがとうございます!

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タカオカタクヤ

まず、お詫びを申し上げさせていただきます。私がEMI原盤の音源を手に取るようになった頃は、もう東芝音工ではなく、東芝EMIに社名は成っておりましたね。
もう東芝もレコード事業からは撤退し、音響機器のPioneerも、台湾企業に買収されるとか、ネット情報で目に致しましたし、日本国も衰亡への道を真っしぐらで、本当に切ない限りです。

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岡本 浩和

>タカオカタクヤ様
ご丁寧にありがとうございます。

>日本国も衰亡への道を真っしぐらで、本当に切ない限りです。
おっしゃるように、本当に切ない限りです。
どんなふうになっていくのか心配も多々ですが、僕などは楽観的で、むしろ日本人の底力が今こそ発揮されるのではないかと内心どこか期待するところもあります。

こういう時代であるからこそ古き良き時代の名演奏がまた映えますね。
今後ともよろしくお願いします。

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