白井 ザイフェルト ロータリング メイヤー サヴァリッシュ指揮ベルリン・フィル シューマン ミサ・サクラ作品147(1987.9Live)

芸術家の至高の目的が宗教音楽に対して創造的な力で貢献することであるのは確かなことです。
(1851年1月13日付、アウグスト・シュトラッカリアン宛)
作曲家別名曲解説ライブラリー23「シューマン」(音楽之友社)P241

(1850年9月)デュッセルドルフの音楽監督に就任したロベルト・シューマンは、職務としてカトリック教会の典礼のための音楽を書かなければならなかった。と同時に、プロテスタント派であった彼はドイツ語によるレクイエムの作曲も計画していた。彼にとって宗教の派閥(?)については意味あるものでなく、それよりも音楽的創造力で宗教、というか信仰そのものに貢献することこそが重要だったのだろう。

実際、1852年から53年にかけて作曲された「ミサ・サクラ」の重厚な美しさ、抜群の聖性に僕はいつも感化されてきた。中でも、1853年に付加された短い第4曲「オッフェリトリウム」から第5曲「サンクトゥス」にかけての崇高さ(序奏のように付け加えた「オッフェルトリウム」の意味がここにこそある)に言葉を失う(ちなみに、ここではイスラエルとエルサレムの栄光が讃えられるのだ)。

シューマンはバッハのロ短調ミサ曲やマタイ受難曲を具に研究していたという。
もちろん彼は指揮もした。そして、これら充実の宗教音楽たちを作曲する最中に、人生で重要な邂逅を果たすのである。20歳のヨハネス・ブラームスとの出逢いだ。それは1853年9月末のこと。

20歳のヨハネス・ブラームスの訪問は、日々に外界との断絶と孤独を深めていくシューマンに、喜ばしい希望の日々を与えた。久しくとらなかった評論の筆をとって、シューマンは「音楽新報」に「新しい道」と題する一文を送り、ブラームスの天才と輝かしい将来とを予言した。
~同上書P16

シューマンの音楽史への貢献は、作曲家としてはもちろんだが、それよりもむしろショパンやブラームスの天才をいち早く見抜き、彼らを世界に公表したことだ。それこそ先見の明であり、時代の先取りだといえよう。

・シューマン:ミサ曲ハ短調作品147「ミサ・サクラ」
白井光子(ソプラノ)
ペーター・ザイフェルト(テノール)
ヤン=ヘンドリク・ロータリング(バス)
デュッセルドルフ市楽友協会合唱団
ヘルムート・シュミット(合唱指揮)
ヴォルフガング・メイヤー(オルガン)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1987.9.13&14Live)

ベルリンはフィルハーモニーでのライヴ録音。
堅牢な、いかにもドイツ的な響きを創出する(カラヤン存命時の)ベルリン・フィルの見事な演奏にあらためて舌を巻く。
第1曲キリエからシューマンの心を美しく再現する凄演だが、中でも第4曲「オッフェルトリウム」から第5曲「サンクトゥス」、そして(壮絶な)終曲「アニュス・デイ」の流れが最高(ベートーヴェンのミサ・ソレムニス、あるいはバッハのミサ曲の木霊よ!)。

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