
トスカニーニもクレンペラーも、マーラーの交響曲第5番には否定的な見解を持っていた。
(トスカニーニはともかく、弟子のクレンペラーにも第5番の録音はない)
そういう僕も、以前はこの交響曲の真意がわからずにいた。名盤とされるものをいくつ聴いてもまったくピンと来なかった。あまりに通俗的な臭いと、支離滅裂な印象が長い間拭い切れなかった。しかし、いつぞや第4楽章アダージェットを序奏にした終楽章ロンドの魅力にはたと気がつき、ついにこの作品の真意が腑に落ちたとき、僕の中で名曲の一つに数えられるようになった。

交響曲第5番は指揮者を選ぶ。否、というより解釈を選ぶのだ。
だからこそ誰が振っても良い演奏になるとは限らない。それほどに難しい交響曲なのだろうと思う。
1904年にケルンでおこなわれたマーラーの『第5交響曲』の初演に結びついたひとつの体験は、私に意味ぶかい印象を与え、またいかにもマーラーらしいことのように思われるので、ここで話しておきたい。クレーフェルトでの成功以来、彼は或る出版社を見つけていたが、彼の声望がきわめて大きかったので、この出版社はまだ作曲中の『第5交響曲』に、多額の印税の支払いを申しでた。作曲家としての自分の評価の上昇を示すこの徴候に喜んだマーラーは、この申し出を承諾し、できあがった総譜を手渡すさいに、当時の観念では以上に高額の、たしか1万5千マルクという金額を受けとったのである。ところで『第5交響曲』によってマーラーは、それまでより高度に発展したポリフォニーの様式を始め、そのために彼の管弦楽法の技術は、新しい問題に直面することになったのだが、いざケルンで演奏されてみると、この問題が解決されておらず、織りなされた諸声部が計画どおりの明晰さをもってひびかないことが明らかになった。私もマーラー自身が受けた不利な印象を、肯定することしかできなかったし、管弦楽法をやりなおす、という彼の決心は固かった。数か月にわたる仕事によって、彼はほとんど完全に改訂された総譜をしあげ、例の印税をふたたび出版社に提供して、全体にわたって或る部分は新たに印刷させ、或る部分は修正させた。このために現世的な報酬のかなりの部分が、精神的な純粋さの要求の犠牲になったことは確かであった。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P230
マーラーが初演後に楽譜にとことん手を入れるのは有名な話なので、ワルターの回想での詳細の記述は実に興味深い。そしてまた、マーラーが常に革新を採り入れようとしていたかがわかるのと同時に、それが予定通り正しく響かなかった場合に、報酬を捨ててでも自身の音楽の整理整頓(?)を最優先させ、改訂のためのテコ入れを欠かさなかった事実は、マーラーの芸術家魂の誠意と熱意の表れであった(意地だったか?)。
そのことに対し、ブルーノ・ワルターは正直だった。師から忠言を求められた際も、おそらく歯に衣着せぬ態度で言葉を発したのだろうと想像される。
粘らず、いかにもワルターという淡々とした印象の交響曲第5番。
どの楽章も古びた録音から今一つ外への広がりを感じさせないものになっているが、この真っ直ぐで自然体の、そして一貫して速めのテンポで、どの瞬間も透明感のある演奏こそが、ワルターのマーラーへの答なのだろうと思った(やはり第4楽章から終楽章にかけての無為自然が美しい)。
あらゆる声部が明晰に響くことがマーラーの信条だとするなら、その点を見事にクリアするワルターの演奏はぴか一だ。
ちなみに、ワルターは、結果的に交響曲第5番を新たに録音する機会を逸した。最晩年に計画はあったというのだから実に惜しいことだ。
そして、デジ・ハルバンを独唱に据えた「若き日の歌」(抜粋)でのワルターのピアノがまた絶品!
地に足のついたピアノ伴奏は音楽を慈しみで包み込む。
