
中学生の頃、僕はショパンに目覚めた。
中で衝撃だったのは、サンソン・フランソワによるノクターン(夜想曲)全集だった。
それは、今でも色褪せない記憶として耳の奥に鮮明に残る、鮮烈な体験だった。
冒頭、(親友の妻マリー・プレイエルに献呈された)作品9の3曲から、すべての音楽が思春期の僕の内面を抉った。感動という言葉では言い尽くせない、音楽の魔物に憑りつかれたような妙な感覚があった。
何が僕の心を捉えたのか。
センス満点の、師コルトー並みのルバート、あるいは詩情豊かなピアニズム、まるでショパンその人が弾いているのではなかろうかと思わせる、自然ながら刺激的な演奏にたぶん僕は嵌った。
ショパン:夜想曲全集から
・第1番変ロ短調作品9-1(1831)
・第2番変ホ長調作品9-2(1831)
・第3番ロ長調作品9-3(1831)
サンソン・フランソワ(ピアノ)(1966.7録音)
そして、何という郷愁!!
こういう静かな、それでいて内側が火照るショパンを弾くピアニストはいなくなった。
だからこそフランソワのショパンは不滅なんだろうと思う。
46歳で急逝したフランソワは、酒とたばこを愛したという。
ジャズを聴き、作曲もした。
根っからの芸術家だったようだ。
(内側に火照るものを感じるのはそのせいだろうと思う)
かの天空と大海の無辺際に眼をさらす楽しさよ! 孤寂よ、沈黙よ、比類なき青空の純潔よ! 沖はるかなるあたりにわななくかの片帆は、その小と孤によりて、わが救い難き存在を摸したらずや、さてはまた、のたりのたりの波の音。ああ、これら一切のもの、われを通じて思考し、われはまた、それらを通じて思考したらずや。夢想の広大裏、自我忽ちに消え失せつ! げにげに、それらは思考したり、音楽的にまた絵画的に。詭弁、三段論法、演繹もすべて無益に。
「芸術家の告白の祈」
~堀口大學訳「ボードレール詩集」(新潮文庫)P165-166
大自然に対しての「我」の小ささよ。
天空と大海に通じることこそ楽し。
