
実演に触れたことのない演奏家を云々するのは、実際のところとても難しい。
録音(音盤)は文明の利器だが、過去の記録に過ぎず、それだけで事の正否を、良し悪しを判断するのは危険だとも思うのである。
そもそも過去は存在しない。
もちろん未来も存在しない。
あるのは「今」だけだ。
だから僕には演奏の良し悪しを判断して書くことはできない。
(ただし、録音でも何でも、心を動かされたかどうかは自分事だから書くことはできる)
珍しく吉田秀和さんが、実際の音を聴いたことのないクレメンス・クラウスについて言及しておられる。吉田さんは1954年の初め頃、初めて渡欧し、そこで数多の音楽を聴かれた。クラウスのコンサートも楽しみにされていたが、同年5月、メキシコで客死。がっかりしたそうだ。


吉田さんのクラウス評が興味深い。
(芸術は歴史と、地域と密接に連動している)
クラウスは、ヴィーンという、この世界では二つとはない、独特な趣をもった大都会での音楽生活に、一つの深い刻印を押した指揮者だった。といっても私は、クラウスがヴィーンにはじめて、ある一つのプロフィールを与えたというのではない。そんなことは、誰にも不可能だった。あのモーツァルトにさえできず、ベートーヴェンにさえ不可能だったことである。しかし、また、ヴィーンの音楽といっても、ハイドンが、モーツァルトが、ベートーヴェンが、シューベルトが、そうしてブラームス、ヴォルフ、ブルックナー、またマーラーが、ブルーノ・ヴァルターが、ヴァインガルトナーが、そうしてシャルクが—と、こうして数え立てているうちに、その中からしだいに出来上がり、形をとってきたのであって、そういうすばらしい芸術家たちの黄金の環の一つが、クレメンス・クラウスであったこと。これは、もう、疑いをいれる余地のないことである。
そうして、その間、重点が帝室や貴族を中心としたヴィーンの社交界からしだいに市民社会に移動してゆく過程の中で、古いものから残され、新しいものの中に、ごく自然に伝えられ、保存され、そこでまた新しい花を咲かせていったのは、何と何であったか? これを詳細に正確に見とどけることは、私たちはとてもできない話ではあるけれども、少なくともクラウスという音楽家が、その出生から、その音楽家としての出発(彼はヴィーン少年合唱団〔当時の帝室少年合唱隊〕で最初の教育をうけた音楽家だった)、成長、成熟といった軌跡の中で、20世紀前半のヴィーン市民の音楽生活と深いところで接触し、のちにはそれを形成する有力な力の一つになったこと、これもまた、たしかな話であろう。
~「吉田秀和全集5 指揮者について」(白水社)P172-173
歴史もそう、人間もそう、それゆえに芸術もそう、すべては過去からの累々たる積み重ねによってあるものだ。
ウィーン人、クレメンス・クラウスの奇蹟の一つ。
喜歌劇「こうもり」を聴いた。
独特の間合い、ため、何とも雅な響きが、ワルツ王ヨハン・シュトラウスの傑作に華を添える。しかも、台詞が全カットされているので、全曲が90分ほどで走り抜けるのだが、それはまた不思議と物理的にも充実の時間に感じられるのである。
第2幕、全編がオルロフスキー邸の夜会の場だが、ここでのクラウスの生み出す音楽は喜びに溢れて、楽しくて、楽しくて。しかも、すべてが地に足の着いたものなのだ。
(余興の場面、クラウス盤ではワルツ「春の声」が演奏される)
それにしても登場人物は皆飲んべぇ。
(終幕に至っては全員が酔っ払っている)
かつて酒は嗜む程度にしか呑めず、いまや酒を止めた僕にしてみると、この陽気さは幻想以外の何ものでもないが、この酔狂こそが、過去や未来を忘れ、今に生きる俗人の生き方なのである。それもありだ。