キース・ジャレット バッハ ゴルトベルク変奏曲BWV988(1989.1録音)を聴いて思ふ

変奏と変奏の絶妙な「間(ま)」こそが、この演奏を純粋なクラシック音楽として僕たちに認知させるものの、「実」のある革新的な装飾などは即興的な印象を持ち、そこには彼のジャズメンとしての精神が見事に刻印されているように僕は思う。
1989年1月、八ヶ岳高原音楽堂での録音。使用楽器は高橋辰郎氏による1988年製作のハープシコード。静謐なる録音風景が写されるジャケット裏の写真が温かく、また神々しい。

キースはいうまでもなく数あるマイルス・デイヴィスの「門下生」のひとりだったわけだが、マイルスの寡黙な神秘性をもっとも体質的に純粋な形で継承したのはキースではなかったろうか。シャイな性格をニヒリスティックなオーラでつつみ込んだマイルスの変貌は、神経質できわめてナルシスティックなキースの粘着的演奏へ伝達した。
(鷲頭毅志人「身をよじり、ジャズを瞬間移動するキース―謎めく中世的な怪奇現象—」)
「ジャズ批評88 キース・ジャレット大全集」(ジャズ批評社)P37

彼の粘着的気質は、そのままクラシック音楽演奏にも同期する。
一般の、クラシック音楽演奏者のものと印象を異にするその理由を、僕はこの文章に見つけた。それは、師マイルス・デイヴィスからの直伝の方法だったのである。

ベールにつつまれた「謎」は、明快で直截的な方法よりもつねに優れているわけではないにしろ、「謎」が芸術表現になくてはならないのは、それが「現実」の中で欠乏した生命力を刺激するスパイスだからである。キースの場合は、彼にしか調合できないピアノの妙技があるのだ。ジャズを出発点としたマイルスが、そこからファンクやロックへごく自然に越境していったように、キースのピアノは「あれはジャズなのか、クラシック? それとも現代音楽だろうか」と、いつも議論の的になってきたのである。
~同上書P37

余計なことを掘り返し過ぎるなということ。謎は謎のままでまったく良いのである。
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」の美しさ。しかも、音の強弱のコントロールの難しいハープシコードを縦横に操り、平坦どころか、そこにドラマを織り込むキース・ジャレットの力量はやっぱり並大抵ではない。

・ヨハン・セバスティアン・バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988
キース・ジャレット(ハープシコード)(1989.1録音)

冒頭アリアから湿度が違う。第1変奏からじっくり聴き進む中で思うのは、キースの内なる自由さはバッハ自身が求めたものと同じものではなかったかということ。それならばこの表現はバッハの心象の顕現に他ならない。特に、ト短調の第25変奏から幾秒かの「間(ま)」を置いて奏される第26変奏以降の「長調」の場の絶対的空気感に惚れ惚れ。同様に第29変奏から幾秒かの「間(ま)」を経て生み出される第30変奏「クオドリベット」の静かな高揚に僕はキースの本懐を垣間見る。

ところで、1996年、キースは慢性疲労症候群という病に倒れた。病気を徐々に克服しつつあった2000年12月27日の電話インタビューで彼は次のように語っている。

―興味のある作曲家やミュージシャンはいますか?
最近のひとで? このところまったく音楽を聴いていないので、その質問には答えられない。
—それなら家にいるときはどんなことをしているんですか?
まだ体調が十分とはいえないんだ。家にいるときは無理をしない範囲でエクササイズをしたり、気分が向いたらピアノも弾く。けれど、もともと一生懸命に練習するタイプじゃなかったから(笑)、もっぱらイメージ・トレーニングをしてすごしている。

小川隆夫「ジャズジャイアンツ・インタヴューズ」(小学館)P242

インタビュアーも馬鹿げた質問をしたものだと思うが、キースの音楽の源泉がイメージ・トレーニングであることがわかって実に興味深い。音楽とは空想によって創られるものなのである。もちろんそれを表現する技術あっての話だが。

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