
ここには多少ジャズ的ニュアンスが感じられる。
そして、それは確かに現代音楽だ。
リズムを主体にした音楽は動的でありながらとても優しく柔らかい。何より独奏ピアノが、聴く者の心に届けんと囁き続けるのである。おそらくそれは、ポール・クロスリーの成す技だ。思念のこもる、重厚な歌。続けて奏される4つの楽章が、音調を時の経過とともに変化させながら作曲者の心を映す。
決して前衛っぽくない音楽たち。
暗澹たる雰囲気であるにもかかわらず、音楽は不思議に耳に心地良い。
たぶん、そこには指揮者エサ=ペッカ・サロネンの意思も大いに反映されているのだと思う。
知的でありながらどこかエロティックな、夜を想像させる音楽の妙。
ドーン・アップショウを独唱に据えた「花の歌と歌物語」の憂愁。
下敷きになるのは、ロベール・デスノスがポール・ドアルムとダリウス・ミヨーの子どもたちのために書き下ろしたという詩集。
第5曲は「かめ」、第6曲は「ばら」、というように動物と花が主題となる易しい詩たち。
ばら色のばら、白いばら、
ばらのお茶、
わたしはばらを枝ごとつんだ
夏の日ざかりに。
何とも味わい深く、そして美しい。
そうして、2つの楽章を持つ交響曲第2番。まるで終始地を這う印象の音楽は、静かな(?)喧騒の中にあり(特に第2楽章!)、その最後に光輝を放つ。
1994年2月7日、ヴァイオリン協奏曲を作曲中、ヴィトルト・ルトスワフスキは急逝する。最晩年に作曲された「ロサンジェルス・フィルハーモニックのためのファンファーレ」は1分にも満たない短い曲だが、雄渾でまた大らか。
サロネンの緻密な音楽作りが素晴らしい。