紙一重

今日はロベルト・シューマンの197回目の誕生日である。
数々の名作を生み出しただけでなく、評論家としても先見の明を持ち、「諸君、脱帽したまえ、天才だ!」と同い年のショパンを激賞したのも、若きブラームスを表舞台に押し上げたのもシューマンであった。

最晩年の作品、ヴァイオリン協奏曲ニ短調を聴く。
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ニコラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団

この曲に関して、シューマン自身は「天使から教えてもらった曲である」と語っているが、妻のクララは「決して演奏してはいけない」とレッテルを貼っている。そもそもライン川に投身自殺を図り、命はとりとめたものの神経衰弱に陥いり入院していた頃の楽曲であるゆえ、何とも言えず暗く、重い。

しかしながら、意外にいい曲なのである。若い頃聴いた時は捉えどころがなく不気味で直感的に封印した音楽であったが、今聴くと確かに「上から降りてきたようなインスピレーション」を感じさせる「何か」がある。精神病を患う以前からシューマンの音楽には「翳り」や「不気味さ」が「明るさ」や「愉悦」と同居しているというアンバランスさが常にあるように僕は思う。

天才というのはやはり「紙一重」なのだろう。通常人間は生まれ育つ中で環境や体験を通して「自分自身を防衛するシェルター(殻)」を身につけていく。僕が思うに、どんな分野でも天才といわれる人はそのシェルター(殻)に入ることなく「そのままの自分で育ってしまった純粋培養人間」なんだと思う。ゆえに、ちょっとしたことで傷つく。おそらく人間関係の構築には問題が生ずる。ただし、「上」からの指令をそのまま受けるゆえ、一つ間違えば狂人だが、天才的な「何か」を生み出すこともあるのであろう。若きショパンやブラームスの才能を発見したこと自体ものすごいアンテナをもっているということなのである。

特に、アーティストはこの「アンテナ」が立っていないと話にならない。ただし、立ちっぱなしだと一般生活に支障を来たす。何でもかんでも拾わないよう上げ下げできる術を知ることが重要だろう。

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