
貴族的風格と、心の余裕とでもいうのか、この夜のドキュメントのすべてがこの音楽に効果をもたらす。世界的に有名な製薬会社の御曹司として生まれたビーチャム卿の生み出す音楽は、堂々たるもので、ベルリオーズの誇大妄想癖を超越し、音楽の美しさだけを前面に押し出したものになった。
トーマス・ビーチャム卿最晩年の敬虔な心が生み出すものだろうが、エクトル・ベルリオーズの書いた音楽そのものにはそれほどの信仰は感じられない。無神論者たる作曲家の、「信仰」を盾にして自身の空想を描き上げた巨大な音楽は、それでも僕たちの心をとらえる。
願わくば、実演に触れてみたい、大管弦楽と大合唱団による美しくも強大な音楽の実践に魂まで震わせられる。
一つの作品を残すだけで、私の全作品が破棄させられるとするならば、私は《死者のための大ミサ曲》を残してもらうように慈悲を請うだろう。
(エクトル・ベルリオーズの手紙)
~「作曲家別名曲解説ライブラリー19 ベルリオーズ」(音楽之友社)P97-98
ベルリオーズの自信作。
この演奏が行なわれた日のドキュメントを、ビーチャム卿の足跡と共に辿ってみよう。
早くも、1899年12月6日、ビーチャムの長いキャリアの2回目のコンサートで、彼は歌劇「ファウストの劫罰」から「ハンガリー行進曲」を指揮し、1960年3月19日、最後のコンサート(5月7日)の2ヶ月ほど前には、歌劇「トロイアの人々」から「トロイア行進曲」と序曲「海賊」を演奏した。
ビーチャム卿のもとで演奏する機会に恵まれた私たち、あるいは彼のコンサートに参加する特権に恵まれた私たちは、これらのイベントが、音楽界においていかに特別なものであったかを理解している。ほぼすべての機会が、何らかの形で心を高揚させてくれる経験であり、完璧に計算されたクライマックスや、絶妙に調和されたフレーズの一つ一つに、興奮と優美さが込められていた。ビーチャム卿がしばしば引用するジョーク、とんでもない発言、機知に富みながらも洞察深い冗談、そして人々の記憶に残る貴族的な佇まい、それらすべてがとても繊細で、人間としての優しさに溢れているように思われた。彼の指揮で演奏した者なら誰しもが証言するように、彼が最初にオーケストラに挨拶し、次に聴衆に挨拶した後、再びオーケストラに向かって演奏を始めると、まるで別人が現われたかのようだった。それは、演奏中は、音楽家たちとともに音楽に完全に一体化し、聴衆の存在をまったく忘れてしまっているかのようだったからだ。
ビーチャム卿が、オペラハウスやコンサートホールで主要な作品を指揮するとき、もはや数週間も前から聴衆は期待を高めたという。ごく稀にしかないベルリオーズのレクイエムの演奏も、もちろん例外ではなかった。おそらくここに収録された演奏こそが、最大の期待感を生み出した演奏だったことと思われる。彼は、1931年10月10日、3年に一度開催されるリーズ音楽祭にて、ロンドン交響楽団と初めてこの作品を指揮したが、次にこの作品を指揮したのは1947年だった。同年5月9日と13日に、メイダ・ヴェールにあるBBCスタジオでロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と録音し、その後12月10日にロイヤル・アルバート・ホールでBBC交響楽団と演奏した。2年後の1949年11月4日には、モントリオール音楽祭にて、モントリオール交響楽団を指揮し、演奏した。
ビーチャム卿が再びこの作品に注目したのは1958年のことで、12月3日にロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共にロイヤル・フェスティバル・ホールで演奏した。この時の演奏はやや期待外れで、ビーチャム卿自身も満足していなかったと言わざるを得ない。その大きな理由は、巨大な合唱とオーケストラを必要とするこの作品にとって、ロイヤル・フェスティバル・ホールの音響が不十分だったことにある。この作品は、聴衆が音に包まれるような、パリの広大なアンヴァリッド廃兵院のために構想されたものだった(※)からだ。さらに、ロンドン・フィルハーモニー合唱団の歌手たちは、ベルリオーズの合唱曲に相応しい演奏をした経験がなかったことも理由として考えられる。そのため、ビーチャム卿が、1年後の1959年12月13日、より適切な雰囲気のロイヤル・アルバート・ホールでこの作品を再演することを決めたとき、大歓喜が起こったそうだ。ベルリオーズの指定に従って空間的に配置された4つのバンダを含む、増強されたロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団に、ジョン・マッカーシーの指導を受けたロイヤル・フィルハーモニー合唱団、テノール独唱は前年同様リチャード・ルイスだった。
この2つの機会での、ビーチャム卿のオーケストラ編成の比較が興味深い。ロイヤル・アルバート・ホールでの148名(男女同数)の声のインパクトが、ロイヤル・フェスティバル・ホールでのロンドン・フィルハーモニー合唱団の275名の声のインパクトを完全に凌駕したことは疑いの余地がないのだ。両ホールでの豊富な経験と、プロフェッショナルの歌声がもたらすであろう効果を熟知していたビーチャム卿は、オーケストラの編成を適切に調整した。ロイヤル・フェスティバル・ホールでは、バンダを含めて114名のオーケストラを編成したが、ロイヤル・アルバート・ホールでは143名を採用し、木管楽器、金管楽器、そして打楽器において、作曲家が推奨する理想の編成にかなり近いものになった。
| 編成 | ベルリオーズの指定 | アルバート・ホールでの人数 |
| 第1ヴァイオリン | 最低25名 | 18名 |
| 第2ヴァイオリン | 最低25名 | 16名 |
| ヴィオラ | 最低20名 | 14名 |
| チェロ | 最低20名 | 12名 |
| コントラバス | 最低18名 | 10名 |
| フルート | 4名 | 4名 |
| オーボエ | 2名+コーラングレ2名 | 4名(うち2名はコーラングレ持替え) |
| クラリネット | 4名 | 4名 |
| ファゴット | 8名 | 7名 |
| ホルン | 12名 | 8名 |
| トランペット | 12名+コルネット4名 | 15名 |
| トロンボーン | 16名 | 15名 |
| チューバ | 2名+オフィクレイド4名 | 6名 |
| ティンパニ(17台) | 8対(奏者10名) | 8名 |
| 打楽器 | 大太鼓2、タムタム4、シンバル10対 | 2名 |
※金管楽器セクションは、ステージ左側にトランペット4名、トロンボーン4名、左側グランドティアボックスにトランペット3名、トロンボーン3名、チューバ2名、ステージ右側にトランペット4名、トロンボーン4名、チューバ4名、右側グランドティアボックスにトランペット4名、トランペット4名に分かれて配置。
※ベルリオーズはレクイエムを作曲するにあたって、単に音楽そのもののみではなく、その曲の演奏される場所の問題についても大きな配慮を行っている。追悼式の行われる予定のアンヴァリッドの礼拝堂は、ナポレオンの眠るドーム教会と裏合わせになっており、多くの人々の収容が可能だった。ベルリオーズはここで儀式の行われることを想像したのである。窓は全部が閉され、壁には一面に黒布が掛けられて、広い堂内は暗やみに包まれる。柩のまわりには数多くのろうそくがあたりを鈍く照らし出し、堂内の各所に上から吊るされた灯とともに、全体をうす暗く照らしている。パリの12区を代表して市長に率いられた24のドラムが、弱音された鈍い響きをたてて儀式が始められ、オルガンがそれに加わる。《レクイエム》の音楽が演奏されるのは、こうした雰囲気の中で、しかもその中途に応誦、答誦を挟みながら進行するのである。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー19 ベルリオーズ」(音楽之友社)P99
1958年と59年の演奏時間の差が1分未満であることは驚くべきことだ。
開演時間が近づくにつれ、満員のロイヤル・アルバート・ホールに高まる熱気から、この夜が特別な夜であることが明らかだった。1909年9月18日のビーチャム響との初公演以来、長年にわたってこのホールでコンサートを行ってきたビーチャム卿にとって、これが最後の公演になるとは、誰も想像していなかった。ただし、彼がこのホールに別れを告げる演目が、ベルリオーズのレクイエムであったことは何とも相応しいことだった。もちろん彼にとっては、どれほど特別なものであっても、いつものようにリラックスした態度で臨んだ、いつものコンサートの一つに過ぎなかったのだが。そのリラックスした雰囲気は、事前に彼が費やした膨大な努力を覆い隠すほどのものだった(彼は晩年、舞台裏での綿密な準備に費やした労力を誰も正当に評価してくれなかったとしばしば述べた)。
いつも同様、この日の午後も、ビーチャム卿は楽譜を片手にベッドで寛いで過ごした。夫人がそろそろ準備を始めるように促しに来たとき、彼は、ロイヤル・アルバート・ホールまでほんの数分だと急ぐ様子も見せなかった。彼は、いつもそんな細かいところまで把握していた。しかし、このときは交通状況を読み違え、遅れて到着することになった。それでも彼は、舞台に急かされることを拒否し、楽屋に入って水を飲み、疲れを癒すと言い張った。この時点で、予定されていた開演時刻から10分近くが経過しており、観客のざわめきは、焦りと心配が入り混じったものになり始めていたという。ビーチャム卿をよく知るホールの支配人、クリストファー・ホッパーも、すでに不安を感じ始めていた。ビーチャム卿が楽屋から出てきて、ゆっくりと舞台の入口に向かって歩きながらホッパー氏にこう言った。「聴衆は以前も私を待ってくれたのだから、今回も待ってくれるよ!」
彼の姿が観客の視界に入ると、ざわめきはたちまちのうちに(晩年のステージでの彼の毎回の登場を迎えた)歓声へと変わり、その後、温かい拍手へと落ち着いた。彼は演奏者たちの間を縫うように進み、振り返って、袖に立っていたクリストファー・ホッパーに悪戯っぽいウィンクをした。この夜は、演奏そのものとは別に、一つの素晴らしい出来事があった。休憩時間に、ロシア大使館と国営音楽プロモーターであるゴスコンツェルトの代表団が訪れ、ロシアでの指揮の依頼があったのだ。ビーチャム卿は、やや厳格そうな一行に好意的に接し、招待を喜んで受け入れると述べた。そして、詳細は夫人と話し合ってくれと伝えたが、結果的に、時間的制約から彼がこの招待に応じることは叶わなかった。
何年も経過してから再びこの演奏を聴くと、その衝撃と感動が蘇ってくる。冒頭のフレーズの練り上げから、ゆったりとした、深い感情のこもった演奏による「レクイエム・エターナム」の緻密な足取り、圧倒的ドラマティックな力を秘める「チューバ・ミルム」、対照的な美しさを持つ「クイド・スム・ミゼル」、そして「レックス・トレメンデ」の興奮、あるいは、恐ろしくも美しい「ラクリモーサ」の完璧なクライマックスに至るまで、その夜のあらゆる感情が蘇ってくる。クライマックスが盛り上がるにつれ背筋はゾクゾクし、音楽的感性の素晴らしさに思わず涙がこぼれる。そして、弦楽器に加え、3本のフルートと4本のトロンボーンが伴奏する「ホスティアス」の並外れた効果、続く、リチャード・ルイスによる「サンクトゥス」の素晴らしく明瞭な朗唱が、ピアニシモで打ち鳴らされる5組のシンバル(ベルリオーズは3組を要求)によってさらに支えられ、ビーチャム卿がよく理解していた作曲家の斬新な管弦楽の魔法が発揮されていた。この夜の出来事は、そこに居合わせることができた私たち全員にとって宝物であり、この真に偉大な指揮者との個人的な体験を共有できなかった未来の世代のために、この夜のコンサートが記録されたことに喜びを隠せない。
(グラハム・メルヴィル=メイスン)
BBC Legendsからの1枚。


