
モーツァルト最晩年のピアノ諸曲を聴きながら、澄明で、深遠で、音楽がこれ以上ない高みにまで到達していることをあらためて思った。
(モーツァルト芸術の集積であり、ここで彼の役目が終わったことが不思議に納得できる)
リリー・クラウスを聴いた。
彼女が亡くなってまもなく(11月6日)40年になる。
自分がモーツァルトを選んだのではなく、モーツァルトが自分を選んだとまで言ったリリー・クラウスのキャリアは、モーツァルトに始まり、モーツァルトに終わったのである。
亡くなったのは、1986年11月6日。新聞各紙に載った死亡記事でも、生年にはばらつきがあったが、最も多くが1903年を生年としていた。それに従えば、83年の生涯ということになる。
~多胡吉郎「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」(河出書房新社)P296
この確信こそは、クラウスのモーツァルトの素晴らしさをすでに証明するようなものだ。
演奏者がこれだけの自信をもってこその音楽。
最晩年のモーツァルトの深遠さは、彼が途方もない苦悩の中にあったからだともいえるだろう。煩悩即菩提。世間一般に言う「不幸」こそが、アウトプットの質を上げるのかもしれない。
フランクフルトからウィーン在住の妻コンスタンツェ宛ての手紙。
フランクフルトから出したぼくの手紙に対して、まだ一通も返事をもらっていないので、少なからず心配している。今日、11時にぼくの発表会があった。名誉の面では上乗だが、金銭的には貧弱なものに終った。運わるくある侯爵の邸で大がかりな昼食会があり、それにヘッセンの軍隊の大演習もあった。ぼくがこの町にいるあいだ、毎日きまってそんな邪魔が入るのだ。あの———を、お前は想像できないだろう。しかしどんなことがあったにしろ、ぼくは大いに上機嫌だし、みんなにもたいへん喜んでもらえて、今度の日曜にもう一度発表会を開くと約束されたくらいだ。
(1790年10月15日付)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P180-181
この底抜けの前向きさこそモーツァルトの本懐。
グラスハーモニカはチェレスタで代用されているが、死の半年前の作品だけあり、モーツァルトらしい軽快さの中に、酔生夢死の得も言われぬ情感を秘める。
なるほど、この作品を聴いてからソナタハ長調K.545に触れると、こちらも単なる易しいソナタではなく、晩年の奥深さを感じさせる音調に満ちている(特にクラウスの演奏は素晴らしい)ことがわかる。
第2楽章アンダンテの、明朗な中に感じるふとした哀感は、モーツァルトの天才!
心躍るソナタ変ロ長調K.570の奇蹟。
第1楽章アレグロの、絶妙な音の浮沈、あるいは見事な転調は、人生の酸いも甘いも経験したモーツァルトの深層の叫び。また、第2楽章アダージョには、まるで人生の最期の機会であるかのような安息に満たされ、これほど心のこもる演奏に僕は出遇ったことがない。終楽章アレグレットは、一聴、飛び跳ねるように明るいが、音楽が進むにつれて一転、音楽は妙に複雑な色彩を帯び、途方もない高みに達していくのである。
一層素晴らしいのは、短いジーグト長調K.574。
(何と前衛的!)
