
そしてなお遠く、彼が大通を進んでいった時に、彼は小綺麗な旅館を見うけた。快げに多彩な印度更紗の窓掛を掲げた、その窓の一つに、二つの笑顔が倚りかかっていた。すると直ちに彼はこう考えた。「こんなに私の手近にあるものを、あんなに遠くへまで探し求めに出かけるとは、どう見ても私の思想は大変な放浪癖をもっている。そして快楽と幸福とは、かくも歓楽に富める行当りの最初の旅館、偶然の旅館の中にある。燃えさかる火、けばけばしい陶器の類、可なりの夕飯、粗い酒、いささか粗末だがさっぱりした夜具と、非常に大きな寝台と、何がそれに優るのか?」
彼は、もはや外界の喧騒によって智慧の忠言が打消されない時間に、ただ一人家に帰ってそして考えた。「今日私は、空想の中で三つの住居をもち、そこで等しい悦楽を見出した。私の魂は、こんなに素早く旅をするのに、何故私の肉体を強いて、場所を移す必要があろう? そしてまた計画を実行するとは何の事だろう? 計画は、既にそれ自身で充分な歓びである時に。」
~ボードレール/三好達治訳「巴里の憂鬱」(新潮文庫)P88-89
思念は光よりも早いのだ。
誰しも外に答があると思っているのだが、すべては自分の中にあることを忘れてはなるまい。
何度か実演を聴いたマリア・ジョアン・ピリスのリサイタルは、いずれも大きなホールが舞台だった。しかし、彼女の表現方法から鑑みると、それこそ小さなサロンで、親密さを受け入れながら一人静かに聴く方が、より相応しいように思える。
霜月の慈雨。
冷たい霧雨に濡れながら町を歩いた。
世間は相変わらず煩いが、脳裏になるピリスのショパンは静かで哀感に溢れていた。
そういえば彼女の弾く「幻想曲」はどんなだっけ?
あるいは、彼女の弾く「前奏曲集」はどんなだっけ?
ピリスのショパン「幻想曲」「子守歌」(1998.7録音)ほかを聴いて思ふ 心に音楽を反芻しながら僕は一人孤独にピリスの弾くショパンを聴いた。
どれもが身に、心に染みた。
秋深まる霧雨の夕刻に、とても相応しいピリスのショパン。
病床にあって、孤独の中で音符を連ねるショパンの忍耐と、肉体を遠ざけ、魂で音楽を綴るその姿に僕は感銘を受ける。
そして、楽譜を許にただひたすら音楽を紡ぐピリスのピアノに僕はただただ驚嘆する。

