クナッパーツブッシュの「フィデリオ」

今宵も相当に蒸し暑い。電力消費を抑えるためなるべくエアコンはつけないよう心掛けているが、この湿気の多さにはほとほと参る。よって、少しスイッチを入れてはしばらくして消すという作業を繰り返す羽目になる。それにしても現代の我々は暑さや寒さに弱い。エアコンなどのなかった昔を思うと、人間は随分体を甘やかしているのかな(笑)。そういえば、いつもお世話になるカメラマンの関根孝さんは年中暑いときも寒いときも冷房や暖房をつけないのだという。そもそも人間の身体は気温に順応するようにできており、自然の中で過ごすことが相応のエネルギー消費につながり、体重や体調を万全に整えてくれるのだと。例えば、ダイエットなどというのもエアコンの世話にならないだけで可能なんですよといつだったか話した時に言っておられた。「なるほど、確かに!」と思ったものの、やっぱりまったくお世話にならないというのは難しいもの。結局意識しながら、文明の利器を上手く使って生活するということが大事なんだ。このたびの大震災は、人として生活する上での基本をあらためて教えてくれたということかな。

ところで、今日も「間」について。
音楽を演奏する側(指揮者、オーケストラ、独奏者、あるいは歌手)の「間」や「呼吸」が合うことは名演奏を生む必要条件だと思うが、世紀の大名演奏が誕生するにはそこに居合わせる聴衆の「呼吸」も合わなければならないのでは・・・。これまでの僕の経験では驚くような素晴らしい演奏のときには「息を潜めて」、というよりほとんど「無呼吸」で(笑)聴いてきたように思う。それは生演奏に限らず、素敵な音盤に出会ったときも同様。

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」全曲
セーナ・ユリナッチ(ソプラノ)
ジャン・ピアース(テノール)
マリア・シュターダー(ソプラノ)
マレイ・ディッキー(テノール)
グスタフ・ナイトリンガー(バス)
デジュー・エルンスター(バス)ほか
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団

第2幕のみをじっくりと聴く。いかにもクナッパーツブッシュらしい遅いテンポながら、決して「間」延びしない、堂々たる演奏。汚いまでの金管の咆哮が、晩年の指揮者の「深い呼吸」と相まって、ベートーヴェンの「苦悩から歓喜へ」という思想を代弁するかのよう。この音盤、クナッパーツブッシュの信奉者以外からはほとんど無視されているといってもよいが、「間」と「呼吸」にフォーカスを当てて聴いてみるとかなり面白い。何より各々の歌手が指揮者の「間合い」と十分に同化し、地味ながら素晴らしい歌唱を見せてくれている。

さて、「息を止めて」(笑)、真正面から聴いてみると・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。

>それにしても現代の我々は暑さや寒さに弱い。エアコンなどのなかった昔を思うと、人間は随分体を甘やかしているのかな(笑)。

必ずしも、そんなことはないと思います。昨今の都市部の夏の異常な暑さは、アスファルトやコンクリートによる熱吸収率の増加、産業活動における工場、オフィスビルの情報機器、家庭の空調設備、自動車などによる人工排熱、新たな高層建築物や都市の地形変更による海風・川風の遮蔽など、昔はなかった人工的なヒートアイランド現象に起因する場合が多いからです。ヒートアイランドが進めば進むほど、冷房需要が増加し、それが排熱の増加を招いてヒートアイランドをさらに促進するという悪循環が加速します。こんなものにエアコン無しで立ち向えというほうが人体の許容範囲を超え、無茶です。

ところで、制御不能に陥った福島第一原発事故では、現代物質文明の根幹について様々考えさせられますが、東電の事故後の杜撰極まりない対応などは、さしずめ、箒をコントロールできなくなった「魔法使いの弟子」そっくりですね。

『魔法使いの弟子』 – ゲーテのバラード(譚詩)から
L’Apprenti sorcier

魔法使いの親方が
出かけて、今日はぼくが留守。
親方なんざ居なくとも
ぼくはちゃんと思い出す、
呪文の文句わけはない、
道具もいっさい揃うとる。
ようし、これからこのぼくが
勝手に魔法を使うとる。

水来い、水来い、
満ちて来い!
みるみる満ちて
ざぶざぶと
溢れ余って
浴びるほど!

それからおまえ古箒、
このボロ切れをひっかぶれ!
どうせおまえは下働き
ぼくの言うこと聞いてくれ!
二本足で立ち上がり
頭を上に、まっすぐに、
そして急いで行って来い
水瓶持って水汲みに!

水来い、水来い、
満ちて来い!
みるみる満ちて
ざぶざぶと
溢れ余って
浴びるほど!

するとほらほら出ていくぞ
箒のやつが水汲みに!
行ってはすぐにまた帰り
帰っては行く飛ぶように!
はや桶はもういっぱいだ、
溢れ余って ざぶざぶざぶ
鉢もたらいもみないっぱい、
たらいも鉢もみな浮かぶ。

止まれ、止まれ
よしてくれ!
もうたくさんだ
これ以上!
文句を忘れた
どうしよう?

箒をもとに戻すには
なんと言うたかあの言葉?
箒は水を汲んでくる、
くるくるくるわ、ほらくるわ、
箒! ほうき! こらあほう!
もういらないぞ あの水は!
よせと言うのに、頼むのに
ぼくの頭に百の川。

いかん、いかん
こりゃいかん!
ひっとらまえるぞ
こら箒!
するとあれ見ろ
あの目つき!

まるで悪魔の落とし子だ、
さては家を水攻めに
するつもりだな。四方から
しきいを越えていっせいに
あれあれ波が寄せてくる
これこれ ほうき、箒 これ、
おまえは棒だ、棒立ちに
なって隅に立っておれ!

言っても、言っても、
どうしても
聞いてくれんか
バカなやつ!
それでは斧で
まっぷたつ!

割って薪にしてくれよう、
覚悟はよいか? はいどうぞ!
と、しゃがむところを容赦なく
斧ふりあげて、ええいくぞ!
さすがは見事、ぼくの腕、
箒は裂けてまっぷたつ!
これでやっとひと安心、
親方にも顔が立つ。

ところが、ところが
割れたのが
二つになって
ひだり右
二倍スピード
出す箒。

どうどうどうどう どの部屋も
階段までもドロ水で
浸かってしまった、た、た、た、た
たいへん、たいへん、た、たすけて!
すると親方やって来た、
親方、親方、水が出た!
水が出た、出た! 水止めて!
止める文句をわ、忘れた。

「箒よ、ほうき、
隅へ行き、
もとのように
立っておれ!
ほうき動かす
者は俺」

(万足卓訳 「魔法使いの弟子 評釈・ゲーテのバラード名作集」 1982年01月01日 (株) 三修社)

原子力が二酸化炭素を出さないということは、一方で「呼吸」もしないこと。
・・・・・・呼吸(こきゅう)とは以下の二種類の意味がある。
1. 細胞呼吸:細胞が最終電子受容体として酸素を用い、二酸化炭素 (CO2) を放出する異化代謝系。内呼吸ともいう。
2. 外呼吸:多細胞生物体が外界から酸素を取り入れ、体内で消費して二酸化炭素 (CO2) を放出すること。・・・・・・ウィキペディア 「呼吸」 より

一瞬の「呼吸」も「間」も許さない、絶え間なく動き続けるシステムは地獄です。

クナッパーツブッシュ他による「フィデリオ」、「呼吸」や「間」についてのご指摘、申すまでもなく同感です。この時代、バイエルン国立歌劇場には、エアコンなどなかったでしょうね。深い深い「呼吸」も、充分過ぎるくらいの「間」も、まだ沢山あった時代だったんでしょうね。

※遅ればせながら最近初めて聴いたCD
デュカス:魔法使いの弟子[2台ピアノ版](編曲:A.ラビノヴィチ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
アレクサンドル・ラビノヴィチ(ピアノ)
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1914815
こちらも、クナとは質が違いますが、二人のピアニストの「呼吸」や「間」はぴったりです。

>これまでの僕の経験では驚くような素晴らしい演奏のときには「息を潜めて」、というよりほとんど「無呼吸」で(笑)聴いてきたように思う。

「酸欠ライヴで失神者続出」っていうのも、まさにそうなのかも!!(笑)。
その昔、パガニーニやリストのナマを聴いて失神した多くの女子たちも!!!

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>こんなものにエアコン無しで立ち向えというほうが人体の許容範囲を超え、無茶です。

確かにこの30年ほどの間でも随分状況は変わったのでしょうね。
少なくとも僕が子どもだった40年前はクーラーなどなかったように思いますし、一方で、田舎の村では道路は舗装されていない状態でした。涼しかったのだと思います。

それにしてもゲーテは未来を予見していたかのようですね(というより、その昔から人間の傲慢さに対して警鐘を鳴らす意味合いで創作していたのでしょうね)。

>原子力が二酸化炭素を出さないということは、一方で「呼吸」もしないこと。
>一瞬の「呼吸」も「間」も許さない、絶え間なく動き続けるシステムは地獄です。

まさに!!

ご紹介のアルゲリッチ&ラビノヴィチの「魔法使いの弟子」、いいですよね。このデュオは最近活動していないようですから、もったいないなぁと思います。

>その昔、パガニーニやリストのナマを聴いて失神した多くの女子たちも!!!

そうかもです!(笑)

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