純粋無垢な・・・

横浜での所用を済ませた後、宮崎台に向かった。
昼ごろ突然連絡が入り、毎月恒例のPAPA@KITCHENの菜食会にご招待いただいた。初めて伺ったが、恵那でのいつものお味が堪能でき、ビール片手にいい気分!随分盛り上がりました。

深夜に帰宅し、やっぱり今日もモーツァルトということで、ベームの「コジ・ファン・トゥッテ」。この歌劇については実はまだまだ聴き込みが足りない。アマデウスのオペラの中でも少し渋いながら出色の出来だとこのところ思うようになったけれど。

作曲当初は劇の内容が不純で、不謹慎だということで評価されなかったようだが、音楽だけを聴いてみるとやっぱりモーツァルトの傑作であることには違いない。亡くなる前年の作品だけあり、響きは本当に純粋無垢で、「魔笛」は別格として最晩年のモーツァルトの肉体的にも精神的にも最悪だという状況を超越し、それこそ「自我」を超えた「大いなる自我」の境地に達する水準の音楽だと、この頃になってようやく「わかる」ようになった。

賛否両論はあろうが、オペラを音だけで聴くという行為はあり。そのことはこの「コジ」の音楽を聴けばわかるというもの。

モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588
エリザベート・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
ハンニー・シュテフェック(ソプラノ)
アルフレート・クラウス(テノール)
ジュゼッペ・タデイ(バス)
ワルター・ベリー(バス)
カール・ベーム指揮フィルハーモニア管弦楽団&合唱団

それに、1960年代初頭のベームの棒がこれまた絶妙!おそらく実際の舞台に触れたらばよりアクティブで、一層深遠なアマデウスの世界が経験できたのだろうが、今更それは不可能というもの。ウォルター・レッグの残したこのスタジオ録音で十分と言い聞かせ・・・(実際十分だし)。

夜中に聴くとこれがまたいい。


11 COMMENTS

雅之

おはようございます。

はっきり言って、
>オペラを音だけで聴くという行為はあり
ですが、
それは、レコードとオーディオの幸福な電気の時代がもたらした、「邪道」「弊害」だと断言します(歌曲については違う)。

たしかにオペラの醍醐味は音楽と声ですが、それだけに満足していたのでは、作品全体の何分の一かを知ったに過ぎないでしょう。モーツァルトの本意ではないと思います。現実を直視せず、「知ってるつもり」「ひとりよがり」に我らクラヲタが陥る最大の原因は、この「録音で音楽だけ聴く」という行為にあるのではないかと、このごろ強い疑念を抱いてさえおります。

オペラの音盤は、上演に行く前に予習をする人と、上演か映像で作品や多様な演出を熟知した人の思い出のためにあると、申し上げておきましょう。

いつも話題にしております、例のサイト
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/rule_f/matigai_ensyutsu.htm
などを読むと、尚更そう実感します。

この歌劇が教えてくれる「男女の機微」を十全に満喫するには、やっぱり舞台上の出来事も熟知しなきゃと、私も思います。家で家族との会話を無視し(ここ、大事なポイント!)、音だけで全曲オーディオの前で聴き通すのは不健康の極み。聴くのなら、岡本さんのような「ながら聴き」か、吉田秀和さんがよくやっていたように、「つまみ食い聴き」しか考えられません。つまりは「邪道」。

ご紹介のベームの録音は、歌手、指揮とも最高中の最高で、私も大昔の若き独身時代レコードが擦り切れるくらい愛聴したものですが、今の私は、そんな自分に戻りたいとは微塵も思いません。

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雅之

BDやDVDでの映像付鑑賞なら、部分的にでも家族と一緒に楽しめ、作品を肴に会話が弾みやすいという、自分の生活実感に裏付けられた大きなメリットも、申し添えます。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
ご意見もっともです。
しかしながらたとえ「ながら」であったとしても、聴覚だけで聴くオペラというのも想像力を掻き立て、しかも音楽そのものに集中できるというメリットもあると僕はやっぱり思います。
「つまみ食い聴き」などは初心者の頃よくやりました。同じ楽章を何度も繰り返し聴いたり、同じ個所をリピートしたり。「邪道」でもなんでも、とても楽しく、それこそ集中してのめりこめていたと思っています。

まぁ、でも僕は音楽を映像つきで観ることに否定派じゃないですよ。
20代のころはどちらかというとLDやビデオを収集していたくらいですから。
動くフルトヴェングラーを見た時は涙が出たほどです。

ただ、独立した頃からそういう習慣が見事に減ってしまい・・・。
ひょっとするともう少し精神的余裕がでるようになったら(笑)、BDやDVDをじっくり鑑賞しながら、音楽やオペラを堪能できる体制に戻れるかもしれません。

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雅之

こんにちは。

今回の私の挑発、あまり真に受けないほうがいいですよ。
何しろ、天下の吉田秀和先生をさえ敵に回しかねない無礼千万極まりない発言ですから、まともに相手にしないほうが賢明でしょうね(笑)。

オペラを、歌唱や指揮をはじめとする音楽だけで評価するか、映画のように綜合芸術として多面的に考察するかの差ですので、あまり意味のない議論かもしれません。

ただ、特にイタリア語のオペラ・ブッファは音だけで聴くと、アリアや独唱や合唱などを除いた台詞の部分が、たとえチェンバロが美しく絡みついてこようが私には退屈極まりなく、このジャンルは、言葉の意味の理解に加え視覚効果が伴った体験を経て初めてきちんと楽しめるという長年の経験からくる実感は、もう死ぬまで変わらないでしょうね。

その点で、「フィガロの結婚」「コジ」などの全曲録音と、「マタイ受難曲」「冬の旅」などの全曲録音とでは、私の中では何かが決定的に違います。

「フィガロの結婚」「コジ」を、一回の舞台の視覚体験もなしに十全に理解できる人がいたら、私は尊敬します。

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岡本 浩和

>雅之様
こんにちは。
天下の吉田先生と言えども敵に回したって良いと思います。
人間、感じ方・考え方それぞれですから。雅之さんの発言、まったくもってありだと思います。
昨日たまたま横浜のタワレコで見かけた珍しいCDを聴きました。
Brilliantの3枚組のメンデルスゾーンの晩年の3つの劇音楽をまとめたものですが、
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4086733
いいですねぇ、これは。おすすめです。
もちろん「音」だけですが・・・。

>「フィガロの結婚」「コジ」などの全曲録音と、「マタイ受難曲」「冬の旅」などの全曲録音とでは、私の中では何かが決定的に違います。

わかる気がします。

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雅之

>Brilliantの3枚組のメンデルスゾーンの晩年の3つの劇音楽

やっぱその作品を初めて聴く時は、対訳が付いていないと厳しいなあ。

LP時代の国内盤の対訳が、大きい字で、丁寧なつくりで、一番よかったです。

ところで、オペラの全曲盤を音だけで楽しめる女性の音楽ファンって、存在するのでしょうか? いらっしゃったら私は引きますが・・・(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様

なるほど!そこが僕との決定的な違いですね。僕は対訳などは後回しにいつもなります。まずは音楽を堪能して、それからどんな内容なのだろうと・・・。

>LP時代の国内盤の対訳が、大きい字で、丁寧なつくりで、一番よかったです。
これ、同感です。

>オペラの全曲盤を音だけで楽しめる女性の音楽ファンって、存在するのでしょうか?

女性はどうでしょうねぇ・・・(笑)。

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雅之

たぶん、中途半端な理解がいやなんでしょうね。

だから、今でも気にいったCDは、毎日毎日何十回でも聴いて深く理解したいほうです。

そういえば、作家の永井路子さんが、誰の指揮だったかの「フィガロの結婚」のLPを大切に聴かれているという話を、昔、読んだことがありました。

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岡本 浩和

>雅之様

>中途半端な理解がいやなんでしょうね。

そのあたりがまた雅之さんの凄いところだと思います。徹底的に理解するまで反復し、そして調べ尽くすという・・・。その恩恵にあやかっている僕は幸せ者です。

しかし、何だか今日はチャットのようですね(笑)

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雅之

たまにはいいですよね(笑)。

何だかオペラ・ブッファのやり取りみたいになってきましたか!(笑)

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